連休が終わって久々にTXに乗って大学へ。車窓から眺める水田はどこも田植えが終わり、さわやかな五月の風が水面を吹き渡り。。。なんて光景、高度経済成長で農家が兼業になったからであって、かつてのこの国では梅雨の頃に、その豊富な雨をいかして田植えをしていたのです。でも今の20代の若者にとって「早苗植わる水田」は、5月の季語になるんでしょうね。
私が10歳になる頃までは、連休に三重にある両親の里に帰ると、一面のレンゲ畑でした。それが私にとっての「農村の5月」なのですが、実はこのレンゲが広がる農村風系というのも、昭和5年生まれの父に言わせると「一瞬の出来事」だったんだそうです(詳しくはまたの機会に)。
里山・里うみと言いますが、それが社会文化だったのは、1950年代までです。その頃までに社会文化として里山・里うみを経験した方は、1940年生まれとしても70歳です。この国の持続可能性にとって大切な里山・里うみが本当はどのようなもので、どのような物質循環が社会経済的背景のもとに成立していたのか、この方々が元気でいられるあと5年程度で解明されねばなりません。私にとって重要課題の一つです。