99 Luftballons

かなりハードな会議とその結果の整理をして、帰宅したのが0時過ぎ、ちょっと休憩、と思ってつけたNHK番組が「洋楽倶楽部80's」。見てしまいました。20代の頃、FMから「聴く」だけだった曲のビデオが次々と流れていて。
そこではNENAの「99 Luftballons」も映されました。ベルリンの壁崩壊以前のドイツ。アメリカで知り合った西ドイツの友達と一緒に、厳重な警戒下の東ベルリンに行った私にとって、ベルリンは確かに二つに分かれていました。そしてそれは私だけではなく、当時の人全ての認識でした。そんな中で歌われたこの99 Luftballonsは、西から流れて行った風船が、東の人からは爆弾に見えるのだろうとの趣旨なのですが、今日見たビデオでは、まさに風船が爆弾となって散っていました。
息子とか娘の世代にとってドイツが別れていたことは、世界史の中のほんの数行の記載でしかないのでしょう。その中を生きてきた現実、その現実から生まれた歌に込められた思いなど、全ての理解が私とは違う。
自然再生にも同じgeneration gap、そして、時代の変化が早く及んだ所とそうでない所の差があるように思います。私の両親はちょっと遅れたところの出身だったので、私は河口堰前の長良川シジミを取って食べたり、里山でとってきた柴で五右衛門風呂を焚きつけたり、亡くなった祖母をその里山の焼き場(もちろん野外)で焼いたりといった経験をしています。そして公害列島と言われた70年代以降しか知らない世代とでは、全く違うと感じています。
私自身は60年代に、急速に変わる自然の最後に近いところを見たように思います。それで「里湖」という本にこう書きました。

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私は子どもの頃(1960年代前半)、大阪府の淀川に近い、水田に囲まれた新興住宅地に住んでいました。その頃の鮮明な記憶に、農薬で死んだ魚の腹で水田が真っ白になった光景があります。大きさも種類もさまざまな魚が折り重なるように浮いている光景に、いったいこの田んぼのどこに隠れていたのかと驚くと同時に、それらがもう明日からはいないことにいいようのない恐怖を感じました。この経験から、私の記憶に残っているのは、この時以降の田んぼや、田んぼの水が流れ込む淀川、そして淀川がそそぐ大阪湾なので、「これが本来の再生すべき自然だ」と語る資格などないと思っています。

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ですが、本当に自然を再生しようとすれば、少なくとも1950年代以前、私が見た、農薬でもう取りかえしのつかないことが起こってしまう以前(「沈黙の春」が訴えてきたのは、まさにこれではないでしょうか)、それ以前の自然がどうだったのか、人々はその自然とどのように持続的な暮らしを維持してきたか、それを知ることが不可欠だと思います。
私は地学にその可能性を見いだしました。私の専門が何なのか、見る人によって様々ですが、たとえば私の仕事には、200年前の宍道湖の環境、先カンブリア代の地球環境、などがあります。
地学の考え方は、今だけでなく、今に至る経緯を必ず考えます。例えば霞ヶ浦でしたら、ある植物が今この瞬間に減っていると言われても、だからすぐに霞ヶ浦に何かしなくては、とは思いません。この50年間でどうだったのかを定量的に解明するのが先で、それを踏まえての対策だと思います。その一つの解釈が、「里湖モク採り物語 50年前の水面下の世界」という本に書かれています。