小学校の国語の教科書にレイチェル・カーソンの文章を

COP10に見られたように、日本人は生物多様性には関心が高い。しかし、化学物質が生物多様性を損なっている可能性に対する関心は稀薄に思われます。私はその原因のひとつとして、小学校の国語の教科書の影響があると思います。背景として、日本の多くの小学校では、国語の教科書の音読を宿題としています。子供達はそこに書いてある事を1,2週間毎晩読みます。親もそれを毎晩聴くことになります。

たとえば鷲谷いづみ氏の「サクラソウマルハナバチ」が小学校の国語の教科書(光村図書「国語」五上)にあります。この文章の趣旨は「生き物はみんなつながっている。だから、サクラソウを絶滅から守るためには他の生物も保護しなければならない」になると思います。ここから、絶滅危惧種を中心とした保全思想、箱庭的に場所を確保すればよいとの発想が蔓延していった可能性があると考えています。

別の国語の教科書には「ビオトープを作りましょう」という文章がありました(出版社失念)。これは無記名の文章でした。ビオトープに生物が戻ってくるまで待ちましょう。戻った生物にさわってはいけません。やさしく観察しましょう、とあります。この文章から、自然は再生することができるとの誤解が生じないでしょうか。また、自然は愛でるものになってしまい、食物連鎖を通じて私たちにつながるものとの認識を持ちにくくなります。

「生息場所」が物理的に減少したことによる生態系改変ではなく、場があっても、そこに「普通に」いるべき生物がいなくなっている現実があります。それはすべてがつながる生態系において、私たち人間の健康も脅かす可能性があるのです。ですから、箱庭的に場所を確保することで安心するのではなく、私たちの暮らしそのものが、すべてがつながっている生態系でサステナブルであるように考えていくことが重要なのです。しかしこれらの文章を毎日音読させられた子供達には、私たちの暮らし方そのものが多様性を損なっていることが、なかなか理解できなくなります。

現役の方の文章を名前入りで載せることについても、問題があるのではないかと私は思います。子供達への影響を考えると、原則、故人であるべきだと思います。今後、種多様性について文章を載せるのでしたら、レイチェル・カーソンの文章にしていただきたいと思います。賛同していただける方には、それぞれの立場から義務教育の国語教科書のあり方を考え、発言いただければと思います。