日経サイエンス2013年3月号は、科学者としての自分の在り方を考える上で参考になる記事がいくつかありました。
「政治家に見る反科学主義」記事には、私の科学観と共通する記載がありました。
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ポストモダン主義者と反科学の保守派は知識と意見が同じであるという誤った見方を導入することで、私たちの思考を啓蒙主義以前の時代に逆戻りさせ、公共政策の共通基盤を損なっている。公共の論議は相容れない意見の果てしのない対立により、何がより正当かの判断がつかない。政策は最も大きな声によって決まり、力は正義なり、勝てば官軍の世界に成り下がる。まさに権威主義だ。
(中略)
「客観性などそもそも存在しない」との主張に同意する記者は、真実を求めて掘り下げることをせず、異論のある問題について併記しておしまいにするだろう。科学的根拠の有効性を判断できないときは特にそうなる。この種の誤ったバランス感覚による両論併記は、片方が知識に基づき他方が単なる意見に基づいている場合には問題だ。
(中略)
事実が意見になると、民主主義の政策決定プロセス全体が崩壊し始める。対立者を1つに結びつけることのできる知識が、失われる。
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「科学コミュニケーション最前線」という記事では、「市民が科学リテラシーを身につけるとともに、研究が社会に及ぼす影響を理解する社会リテラシーを専門家が身につけること」というフレーズにマークしました。「アサザは水質浄化する」と書籍で広めた科学者には、その影響をしっかり受け止め、弊害を少しでも減らす努力をしていただきたいものです。科学者だって間違えることはあります。むしろ科学は既報の間違いを指摘することで発展している面があります。私が彼女を批判しているのは、間違ったことそのものではなく、間違ったことで起こってしまったことに対して良心的な対処を全くしていないことです。
霞ヶ浦の消波堤による環境破壊については、生態学会にも責任があると思います。行政による環境破壊を批判するからには、自らが間違えた事例についてもきちんと批判し、対処すべきでしょう。
科学と社会という趣旨から外れますが、「自閉症と理系思考」記事も面白く読みました。科学者や技術者の子供は知的才能をもたらす遺伝子群と同時に自閉症につながる遺伝子も受け継いでいる可能性がある、という記事です。鵜呑みにするにはちょっと怪しいと思いますが、自閉症というネガティブに見られがちな症状を抱える人にとっては、自己否定しないでよいと思えるきっかけになるかもしれません。そういう意味では2月号の特集「サイコパスの秘密」も精神病質者の長所ともなる側面にも光が当てられていて、参考になりました。