田中法生著「異端の植物『水草』を科学する」

私は海に住む「水草」である海草の研究を博士課程の頃から続けていて、現在もフィリピン大学の国際海草学会元会長と共同研究しています(それで時々ミンダナオ島に行ったりしているのです)。
私の関心は専ら「海草と環境(炭素、窒素、リンの動きや、海草を食べる動物への影響)」で、化学分析に明け暮れてきました。よって未だに潜って見ただけでは種類が分かりません。ましてや生活史での不思議についてはウミショウブの開花を見て感激するくらいで、論文にしたのはそのウミショウブの1枚の葉の炭素・窒素安定同位体比が上下でどう変わるかなんて無味乾燥(?)した内容だったりします。
本書の内容は、私の研究内容と対極的です。個々の水草の生き方がワクワク感とともに語られています。究極のショット!とも言える写真も満載で、「雄性花水面媒」みたいな、多くの日本人が一生聞くことのない言葉も、スッと入ってきます。
近年「水草アクアリウム」は一種のブームです。それは水草が持つ美しさ、癒し効果などの魅力の故でしょう。その水草が減っているのは、義務教育の副読本に書かれるまでに至ったデマである「湖沼における護岸工事などの公共工事」などではないことが、この本を読むと分かります。
私はいわゆる農業の近代化(除草剤、化学肥料、機械化するための区画整理や用水路のコンクリート化、乾田化)が水草衰退の原因だと考えてきました。それが起こったのは朝鮮戦争による特需の頃からです。農業人口を工業人口に移すために農業(特に稲作)を一変させるという社会的な要因によって水草が無くなってきたのに、なぜ「護岸工事などの公共工事」で減ったとか、「湖辺植生帯を再生することによる水質浄化」なんて枝葉末節的妄想がこの国を覆っているのか。おそらく、一部の特化した対象しか見えない研究者が騒ぎ立てていることが原因でしょう。水草が示しているのは、そんな小さなことではありません。この国の在り方につながることです。水草からのメッセージを聞くことで、例えばTPPをどう考えるかが変わってくるかもしれません。
本書巻末にある「水草を見つけて観察しよう」にあるのは「ため池編」「水田編」「熱帯、亜熱帯の海編」です。メダカの減少原因が湖岸の改変ではないように、淡水に住む水草が絶滅に瀕しているのは、湖の護岸工事が主な原因ではないことを示していると言えるでしょう。
今の日本の現状では、野外で水草を見つけてその魅力にとりつかれるよりは、「水草アクアリウム」から入る方が多いでしょう。そんな方が、水草は本当はどういうところにいて、どう暮らすことが幸せなのか、そして、水草の幸せが私たちの健やかな生活につながるかもしれないことを考えるきっかけになってくれる本だと思います。

異端の植物「水草」を科学する (BERET SCIENCE)

異端の植物「水草」を科学する (BERET SCIENCE)

(余談)
私と水草の関係は、実は小学校6年生にまで遡ります。田んぼを一面におおうウキクサを見て、「ウキクサに覆われるか否かで蒸散量がことなるだろう。それにより水温は影響されるのか?」と考え、ウキクサで水面を覆ったバケツとそうでないバケツで水温と蒸散量(ビニール袋で覆ってついた水滴の重量を量る)を比較しました。仮説はウキクサが水面を覆うことで蒸散量が抑えられ(植物により蒸散が促進されるという知識は、小学校では習っていませんでした)、それにより水温はより上昇する、です。そんな単純なものではなく、ましてや当時は統計解析による有意差などの概念も知らず、あまりクリアな結果を示せず、夏休みの自由研究小学校代表には選ばれませんでした。東大で文系を受験したのは、そのあたりのトラウマもあったかも。