生えてきた水草は徹底的に刈らないと、琵琶湖南湖のような「死の湖」になる

10月4日記事水草は雑草、刈り取りではなく根こそぎに」で、1950年代半ばまでは化学肥料がなかったので沈水植物が徹底的に刈り取られて利用されていたことを紹介しました。
どれくらい刈り取られていたか?除草剤使用によって1950年代に沈水植物が消滅するまでの琵琶湖では公式統計採集量で年間3万t、実態統計採集量で年間10万tの沈水植物が肥料用に刈り取られていました。この値は北湖を含む琵琶湖全体での量ですが、北湖・内湖・南湖を合わせた沈水植物の現存量は南湖の2倍と仮定されているので(生嶋ら、1962)、南湖は昔もかなり水草があり、かつ強度に刈り取られていたと考えられます。1995年以前の琵琶湖南湖での沈水植物現存量の最大値は1936年の3940t(芳賀・石川、2015)ですが、刈り取り量は公式統計の半分だとしても15000tと現存量の約4倍になります。つまり1950年代半ばに沈水植物が衰退する以前の琵琶湖南湖では、根こそぎ状態に近い強度な刈り取りが行われていたが故に、約4000tの現存量にとどまっていた可能性が高いのです。これに対して現在の琵琶湖南湖での沈水植物刈り取り量は現存量約18000tに対して、平成28年度実績で2383tに過ぎません。かつての採草量よりも一桁以上少ないのです。刈り取りしていないのと同様です。
琵琶湖南湖ではかくも沈水植物が過剰に繁茂しているのに、「強度の刈り取りや根こそぎに除去すると沈水植物が消えアオコなどが発生しやすい状態で安定してしまう危険がある」とされ(例えば丸野・浜端、2016)、徹底的な刈り取りなどの管理は検討されてきませんでした。かつてどれくらい刈り取っていたかを統計などで確認していれば、このような誤解は起こらなかったと思われます。現在の生物や生態学を専門とされているのであっても、こと水草問題に関しては、古文書や明治期以来の統計にも目を通していただきたいと思います(ついでに言えば「昔の霞ヶ浦にはアサザが多かった」との誤解も、霞ヶ浦の生態系が護岸工事や富栄養化で撹乱された1980年代にアサザが急速に増えたのであって、1950年代以前の霞ヶ浦ではほとんど繁茂していません。アサザ霞ヶ浦にとって、異様な状態の指標と言える植物なのです。これについては、護岸工事以降にアサザが急速に増えた写真などを揃え、論文化しているところです)。
なお、かつての沈水植物採草漁の実態については、拙著「里湖モク採り物語」に現代文でまとめて、採草量の統計値なども掲載していますので、ご参考にされてください。

里湖(さとうみ)モク採り物語―50年前の水面下の世界

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