高い授業料を払ってまで日本の大学に行くべきか

首相官邸ホームページにある「教育再生実行会議 第3分科会(第2回)配布資料」に、東京大学総合教育センターの小林雅之教授による「教育投資・財源の検討のために(高等教育の場合)」が掲載されています。
http://www.kantei.go.jp/jp/singi/kyouikusaisei/bunka/dai3/dai2/siryou1.pdf
小林教授は「進学格差ー深刻化する教育費負担ー」の著者です。
資料では、世界各国との比較でも、日本の家計は非常に重い教育費の負担を強いられている現状が指摘されています。
注意すべきは、資料7ページで「教育費負担の個人主義」とされているアメリカでも、博士課程レベルでは、家計による実質負担はゼロに近いということです。博士課程クラスでは教授が研究室のスタッフの一員としてなにがしかの作業をさせる代わりに、それなりの賃金を支払います。なので研究室にいれば、たとえ授業料を払う必要があっても学生本人が研究室の予算を通じて支払うことができますし、生活もそれでほとんど成り立ちます。
例えば私の知人は社会人を経験してから東大の修士に入り直したのですが、博士課程はアメリカの大学に行きました。東大だと授業料を払い、かつ生活費も学外でバイトして得なければならなかったからです。また学位取得後も、日本の科研費の若手枠は年齢で区分するので、社会人を経てから学位を取る彼女のようなケースは若手として応募することができません。
さらにアメリカだと年齢で定年になるとは限らないので、彼女のように遅いスタートでも高齢までしっかり働けば、それなりの業績を打ち立てることができます。
多様な主体が支えることで学問の進歩と健全性につながるのだとしたら、日本の大学は経済・ジェンダー・年齢など、あらゆる面で健全性を欠く構造になっていると言わざるを得ないと思います。おそらく私の知人のように、本当に先を見る若手は、日本の大学には魅力を感じないと思います。もうあと10年もしたら、優秀な学生ほど大学時点で欧米に進学するという状況になってしまうかもしれません。