崩れゆく東大

 東大教授の論文に対して、またも不正疑惑が指摘された。告発者は賢明にも匿名で、かつ東大だけでなく、文科省、マスコミ、JSPSなど様々な分野に同じ文書を提出した。
http://static.ow.ly/docs/%E5%91%8A%E7%99%BA%E6%96%87%EF%BC%91_5cvq.pdf
 告発者は匿名にした理由をこう書いている。
「匿名にする理由は、現在の日本では、告発者を保護し、安全を確保する規制整備が充分なされていないこと、また、東京大学医学部はわが国の最高権威であり、告発者に対し何らかの形で不利益を生じるような行動を容易に行いうる立場にあると考えるからである。」また「きわめて遺憾なことに、東京大学がかかる告発を有耶無耶にするよう扱ったり、隠蔽しようとしたりする、あるいは告発者に何らかの圧力をかけようとするなどといった話も耳にする。」とも書いている。
 まさにその通り!私は東京大学大学院新領域創成科学研究科自然環境学専攻で教授を務めている。その自然環境学専攻では、某教員が学生に対して深刻なハラスメントを行っただけでなく、毒劇物の管理・環境保全のための法令や学内ルールを無視してヒ素・水銀を無登録で使用し、かつその廃液を流しに捨てた可能性があったため、専攻内の会議で指摘した。調査委員会を立ち上げ、徹底的に調査して事の真偽を明らかにし、問題があれば再発防止策を検討するものと思いきや、結果は想像を絶するものであった。私が問題を再指摘したメールの表現などを理由に私に講義をさせず、指導していた学生に対しては強制的に専門を異にする他の教員に指導教員を変更させ、以後は学生を募集させないという不利益を強制してきたのである。私は学内の通報制度や異議申し立て制度を利用したが全く改善がなかったため、手間と費用をかけて裁判を起こした。先日ようやく和解して、2年半ぶりに冬学期から講義ができるようになった。
 一方で、私が指摘した問題に関する実態解明は行われておらず(少なくとも指摘した私に対して、専攻から明確な説明は受けていない)、従って再発防止策の検討も為されてない。因みに自然環境学専攻関係教員は、私が知っているだけでも2007年から2013年までに2名が女子学生に対するセクハラで処分を受け、1名が入試漏洩で処分されたが、露見したきっかけは学生に対するセクハラであると聞いている。私が問題の可能性を指摘した某教員も加えれば、この短い期間に4名もの教員が学生にハラスメントを行って来たことになる。
 最高権威であるからこそ自らを厳しく律しなければならないはずの東大。しかし今の東大は総じて、そういった矜持がないように見える。そして東大は、例えば大学評価ランキングで世界トップクラスどころか、アジアでさえ2年連続で首位を逃している(1位シンガポール大学、2位北京大学、3位清華大学、東大は4位)。
http://www.huffingtonpost.jp/2016/09/22/univ-ranking-2016_n_12148494.html
 東大では2010年以降、マスコミを賑わすような不祥事が堰を切ったように露見している。2010年3月、アニリール・セルカンという東京大学工学部の助教が、帝國大学などの前身を合わせた東京大学133年の歴史において初めて、博士号を剥奪された。この人物はプリンストン大学客員教授数学部教授、鹿島建設宙開発設計部部長を経験、NASAジョンソン宇宙センターで宇宙飛行士プログラムを修了したと自称し、東京大学博士課程に進学している。なぜこのような経歴に不審を持つこと無く入学を許し、博士号を与えた上に助教に採用したのか(その背景も自然環境学専攻での学位審査や採用審査の経験から、うすうす想像できる)。その後も東大は2011年12月に東京大学社会科学研究所助教の、そして2015年3月には同じ研究室に属する大学院生ら3名の博士号を取り消した。
 不祥事は学位取り消しにとどまらない。東大医学部では製薬業者との癒着が疑われる事件が相次ぎ、危機感を抱いた学生有志が2014年6月に公開で質問を行う事態になった(例えば http://scienceandtechnology.jp/archives/4384)。2013年7月には、架空の研究費を請求して東京大学などから公金計約2180万円をだまし取ったとして、東京地検特捜部が詐欺容疑で東大政策ビジョン研究センター教授・秋山昌範容疑者を逮捕した。また同年12月26日、東京大学は同大分子細胞生物学研究所の元教授・加藤茂明氏の研究室の論文不正問題に関する最終調査報告を公表、科学的に不適切な図表を含む51の論文のうち、33論文で捏造や改ざんなどの不正行為があり、計11人の不正行為を認定したと公表した。
 マスコミをにぎわせない不祥事に至っては、その正確な数は分からない。国立大学の中でも東京大学は不祥事情報の公開が十分でないために、その発生頻度さえ分からないとの指摘もある(http://www.mynewsjapan.com/reports/1290)。
 私も含め告発者が指摘しているのは、極めて特殊で専門的なことではない。誰が見てもおかしいことを指摘しているのだ。確かに問題に気づき指摘する者は常に、その集団内では少数者であり、多数派の価値観や利益とは相容れないであろう。しかし、その指摘を受けとめ真摯に対応することこそが、学問の進歩に繋がる。ところが専攻や部局内の多数派の判断こそが「正義」となり、少数派・告発者が排除され、それが「専攻の自治」「部局の自治」という、およそ思考停止としか考えられない概念で正当化されているのが今の東大だ。このゆがみを今度こそ正さない限り、東大は崩落を止めることはできないだろう。それは同時に、日本の知の崩落にもつながるのではないか。
 私は東大のとてもよい時代を知っている。文科三類から理学部地理学教室に進学させてもらい、専門の学問の枠にとらわれずに他研究室に出入りすることが許され、学位審査では専門の地理だけでなく、植物学や化学工学の教授が副査を務めてくださった。そもそも日本の高校は中退で、アメリカの高校の卒業資格しか無かった私が受験できる国立大学は、当時は東大とお茶の水女子大だけだった。学問をしたいものよ集まれ、という気風があり、指導は厳しく相互の批判もしばしばあったが、真摯であれば未熟な研究でも先輩たちが見守り育ててくれた。
 もちろん、その時代にも問題がなかったわけではないだろう。しかし今ほど、科学的な真理に照らした正義ではなく、「集団内の多数派の考え=正義」という風潮はなかったと思う。東大を愛するものとして、学問の府としての再生を心から願っている。