古着

深夜の経済関係番組を片付けしながら見てたら、古着ビジネスが特集されてました。大量に売れ残った古着は圧縮して開発途上国に輸出しているそうです。日本人で古着を利用しているのはおそらく5%くらいだから資源はまだまだ枯渇しないと、経営者が話してました。納得です。
私が子供の頃はそれほど裕福とは言えず、漢字の練習は新聞紙に赤鉛筆で書き、おやつは煮干しでした。服も従兄弟のお下がりや母の手作り。それが二つ年下の妹が服に注文をつけるようになる頃には経済状況が好転して、妹や弟にはそういう経験はないようです。
ともあれ、倹約、倹約で育った私は、今でも服は滅多に買いません。子供達が通っていた保育園のバサーで古着を買う以外は、息子が小学校の頃に着ていた服のお上がり(6年物)、妹が高校の頃に着ていた服のお上がり(30年物)、一番古いのだと、母親が年頃の頃に着ていた服のお下がり(50年物)で済ましてしまいます。
なので私が「これはもう着れないなぁ」と思った服を古着屋に出しても「ウチではこれは引き取れません」がほとんどです。たまに、母親が亡くなる前に買った服で、母と違って地味な顔立ちの私がこんなジミなのを着たらバアサンだわ、みたいな高級服を出したら引きとってもらえる程度。日本人の服へのこだわりってすごいなぁと思う一方、古くは50年物を着ていててもそれほど目立たないところを見ると、社会環境が50年でドラスティックに変わったほどには、服の嗜好は変わってないのかなと思います。もっとも傍目から見ると、私の服装は相当変わっているのかもしれませんが。