なぜ水道民営化で困るのか

水道民営化でググルと3660000件もヒットします。ホットな話題になっているようです。
水道には上水道と下水道があります。下記Yahooニュースの図で見ると、私が生まれた1960年頃の上水道の普及率は、まだ50%に達していませんでした。
https://news.yahoo.co.jp/byline/fuwaraizo/20150504-00044602/
実際、小学校低学年の頃まで、三重県にあった両親の実家には下水道はなく、上水道もなかったと思います。電気はありましたがガスはなく、竈や五右衛門風呂の焚きつけが下手だと、祖母に怒られてました。
上水道の代わりに井戸がありました。冷蔵庫も無かったので、スイカは井戸に吊して冷やしました。
下水道の代わりに排泄物は屋外の肥だめに貯め、畑にまきました。洗濯や食器洗いに洗剤は使わず、下水は鯉がいる池を通って川に流してました。下水に含まれる有機物を鯉が食べるので、川にはきれいになって流れてました。
大阪市内に住んでいた私の家では洗剤を使っていたので、「なんで洗剤、使えへんの?」と叔母に聞いたら、「そんなの使ったら鯉が死ぬがね。」と言われました。大阪だって下水はやがて川や海に行くのだから、魚が死ぬような物が入っているハズないだろうと考え、「よし、洗剤を薄めて飲んでみよう。」と思い立ちました。飲んだ直後から夜中まで、ひどい下痢と腹痛で大変な目にあいました。大阪では魚が死ぬようなものを平気で流してるんだと、すごくショックでした。
上水道も下水道も不要だった暮らしは、私達日本人が水に住む豊かな生き物たちと共存していた暮らしでした。それは同時に、自分達が使うものを自分達で維持する、自己責任の暮らしでもありました。私達は利便の為に生き物たちを殺して憚らない生活を求め続けた結果、わずか50年で民営化でオタオタする暮らしになったわけですね。
下の写真は父の実家に上水も下水も無かった頃のものです。自分でブリキのバケツに絞った山羊乳を、殺菌などせずそのまま飲むのが楽しみでした。こんな生活もわずか50年で消えました。この50年間で日本が変わった方向でこれからも変わり続けて本当にいいのか、民営化を機会に考え直してもよいのではないかと思います。

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