イスラム革命30年

オスロにいたときは英語しかわからないのでテレビはBBC Newsをつけていました。外国の報道が重点を置くものと日本とではかなり違うことはよくありますが、今回も、BBCのイラン問題(Iran crisisとのタイトルでした)に比べて、日本では本当に報道が少ない。昨日NHKクローズアップ現代でようやく詳細な報道に接しました。
その中で「イスラム革命から30年経って。。。」というナレーションに、ああそうだ、あれから30年だったと、ひさしぶりに友達の泣き顔を思い出しました。
彼女とは交換留学で知り合いました。高校の1年間を過ごしたアメリカを発つ前に、AFSというその交換留学制度でマサチューセッツ州にいた学生が一つのバスで1週間、バス旅行をしました。ドイツ、デンマーク、フランス、ニュージーランド、タイ、インドネシアと、様々な国の同世代と友達になりました。最終日は、それぞれの国に向けて一人、また一人と追い立てられるまで、みんなで泣きながら抱き合って別れを惜しんでいました。
誰よりも泣きじゃくって、「いやだ帰りたくない、みんなと別れたくない」とまで言っていたのが、イランから来ていたパラストゥー・エサニでした。あの国から来ていたのですから、きっと資産家の娘だったのだと思います。留学中に起こった革命のために、両親とは自由に連絡がとれず、国に帰っても親に会えるのかどうかわからない、そもそもまともに生きていられるのかどうか。昨日まではTシャツに半パンだったのに、チャドルに身を包み、他のバスで回っていたイラン人学生達とともに発った彼女。帰国後3度くらい手紙を出しましたが、とうとう返事は来ませんでした。
1981年夏、教養学部の学生だった私は、バストリップの友達が固まっていたヨーロッパに遊びに行きました。ドイツ人の友達とパリ大に行っていたフランス人の友達のアパートに転がり込み、バス旅行のときのように、ただただ一緒に時間を過ごしていたある日。折しもダイアナ妃の結婚式で、3人でテレビを見ながら「信じられる?彼女って私達と同じ20歳なのに、もう結婚だよ〜」「人生、もっといろいろ楽しめるだろうにねぇ。おっと、ベロニクはゲイル(同じバスにいたノルウェー男子)と熱々だから、もうすぐ結婚かなぁ」「ぜ〜んぜん!熱々と結婚は別。まずは一緒に暮らしてからね。」なんてだべっていて、ふと「パラストゥー、どうしているかなぁ。」同じ20歳の彼女は、あの国でいったいどんな夢を見ていられるのだろう?
30歳頃から就職なり結婚なりで移動したりやたら忙しくなったり、中には病気で亡くなったりと、同じバスの日本人とさえも連絡がとれなくなりました。それでも彼らがいる国に出張するたびに、もしかしたら偶然あったりしないかな?と思ったりします。イランやイラクの治安が安定し、反アメリカ感情が少なくなったイランに出張して、パラストゥーいないかしらと思える日が来るものなら。