化学物質問題市民研究会のニュースレター「ピコ通信」131号に、造園業者の方による表題の投稿記事がありました。プロとして農薬を必要としない庭づくりをしているその方は、「アマチュアの頃は好みの花を美しく咲かせることにしか意識が向いておらず、花を傷める虫に敵意をむきだしにしていた」と書いていました。その経験から「園芸書には施肥や剪定などの情報と一緒に、病害虫妨徐の時期と代表的な病害虫名や防除の薬剤名などが書かれていることが多く、農薬での防除は当然行うべき庭仕事として、多くのアマチュア園芸家の頭に刷り込まれています。」としています。
園芸書には確かに、コマメに農薬を散布するよう書かれています。およそこんな植物に虫つかないだろ?と思われるものまで。私の場合は幼少期に農薬で浮いた魚の死体で田んぼが真っ白になっているのを見てしまい、それが米を食べれなくなるくらい衝撃的だったことから(今でもお米を食べるのは苦手)、どれだけ花がやられても農薬は使いません。でも私以降の世代は魚がいない田んぼが当たり前で、私が感じた恐怖を実感することなく育っているのだろうと思います。
「人は地球に線を引き、権利を主張していますが、庭と環境には境界線はありません。(略)境界線のない世界で、病害虫の発生に農薬で刹那的なけりをつけても意味のないことです。病害虫に侵されるのは、植物がストレスを受けて弱っている場合が多いのです。環境に合う植物を選ぶとともに、植物が健康に育つよう、敷地の問題をよりよく改善することが大事です。」
環境に合う植物を選ぶ、それを通じて、日本というこの環境の個性みたいなものを、理屈を超えたところで理解に近づく気がします(「言葉」という、人が作った道具だけで理解できることは、限られている気がします)。
これまでいろんな植物を育ててきましたが、日本で昔から育てられているキク科の植物(菊や都忘れなど)やホトトギスなどは雑草のように強く、何もしないと庭を占拠してしまいます。ボタンも、本当に見事に咲かせるには世話が大変なのでしょうけど、何もしなくてもそこそこ美しく咲いてくれます。
大学に移って草取りをする時間が極端に減ってしまい、今はどうやって雑草に負けない庭にするかが大きな課題になっていますが、植物や、植物をとりまく生物たちの様子をみながら、そのサイクルが私の思い描く状況と融和するように、時間をかけて取り組んでいこうと思います。
ピコ通信、いつものように大学の自室の扉に貼っておきます。ご自由にご覧ください。