人間の想像力って、時にすごいけど得てして貧弱で、我が身に起こるまでは起こった人の気持ちなど1%も分からない、少なくとも私はそうだと思っています。
飲酒運転の取り締まりについて、それで家族を失った遺族の思いがどれほど他と違うか、たとえば「週間朝日」9月4日号に掲載された「堺屋太一 憂いの熱弁 飲酒運転の厳罰化が日本を滅ぼす」という見出しの記事(p30、31)に対して、遺族や関係者がどれほど憤り、悲しんでいることか。ニュースにも全く取り上げられていないどころか、記事の主張を鵜呑みにする文章がネットに加わるなど、この国は飲酒運転に対してどこまで無神経なのでしょう。
同様に、先週起きた福岡県警小倉南署警察官による飲酒ひき逃げ事件についても、多くの人にとっては数あるニュースのひとつかもしれません。しかし飲酒運転のトラックに追突されて車が炎上、1歳と3歳の娘さんが焼死してしまった井上夫妻にとっては、下記のように様々なことを考えさせられる事件でした(もちろん、考えさせるのとは別に「衝撃的でつらい」という言葉ではうかがいしれない感情があるはずです。その日の報道ステーションでコメントを求められ、泣き顔で語っていた奥様の胸の内を思うと、今もやりきれません)。
以下、井上夫妻からの「かな・ちかメール170号」から抜粋(「かな・ちか」は亡くなった娘さん達のお名前です)。
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穏やかな朝を迎えていた先週8月25日、福岡3児死亡事件からちょうど3年目の日に、福岡県警小倉南署の巡査部長(49)が、飲酒・ひき逃げ事件を起こした、という第一報が飛び込んできました。
飲酒運転者に対して厳しい取り締まりをし、捜査をする側に立つべき警察官が、なぜ卑劣な飲酒ひき逃げという罪を犯したのか?それだけでなく、アルコール検知を拒否し、飲酒運転をしていた事実さえも当初は否認するといった、罪を幾重にも重ねる行為で、どこまで市民感情を逆なでするのか?
「飲酒運転をこの世から無くしたい」と、活動をしている私たちや知己の被害者遺族仲間にとっても、言葉を失ってしまうほど衝撃的でつらい事件でした。
この事件、今後下記のような視点からもぜひ続報を期待しています。
□家族も彼の多量飲酒を以前から問題視し、職場にも相談しており、上司は本人に「指導」をしていた。職場の指導には何が欠けていたのか? なぜ彼はアルコール専門医につながらなかったのか?
□アルコール検知拒否をした彼に対して、裁判所から捜査令状を取り、血液の鑑定結果が出たのは、事件から約10時間後。そんなに時間がかかったのは、なぜ? 仮に当初の飲酒量がもっと少なかったために、10時間後に検知できていなかったら、道路交通法違反の罪にさえ問われなかったか?諸外国ではどうやって検知しているか? 検知拒否者に対してどのように対処しているか? 飲酒検知拒否罪の有効性は?
□血液中のアルコール濃度(血中1.27mg/ml)と、彼がこれまで供述している飲酒量(生ビール3杯と冷酒3杯)がどうも整合しない。もっと事件前に飲んでいたのではないか? よほど代謝が遅かったのか? 血液検査のほうが数値が高めに出るのか?
□危険運転致傷罪で送検されている警察官。このまま同罪名で起訴されたら、裁判員制度のもとで裁かれることに。市民裁判員の目からは、彼に対する情状(妻との離婚、子どもに会えなくなったこと、など)がどのように映るか?