昔の霞ヶ浦にアサザは無かった(1)

アサザ基金が小学生にアサザを植えさせている地区の近くに、昔の湖岸を復活させたいと、手弁当で活動している「かいつむりの会」が手入れしている浜があります。


「自然再生」しているとされるアサザ植栽地
この「かいつむりの会」にインタビューしてきました。当時の写真も見せていただきました。
−−−−−−−−−−−−−
Q:護岸工事前のこのあたりの湖岸について教えてください。
砂があって水泳場だった。茨城百景だった。

当時の湖岸
沈水植物のニラモ(セキショウモ?)、カンモ(?)、ビルモ(?)が生えていた。
お盆にはマコモをかって筵を作って仏様を迎えた。砂浜があり、水が透明で泳げた。貝や魚がたくさんいた。

泳いだり、スイカ割をした砂浜
タナゴがたくさんとれた。タナゴは佃煮にしていた。ゼニタナゴは捨てるしかないほどとれた。ヤリタナゴもいた。
カラスガイ、イシガイ、ドブガイは護岸工事前から減少が始まった。田んぼや畑に農薬を撒いたからだと思っている。トンボも、羽化したのを毎日たくさん集めて、鶏の餌に与えるのが子供の仕事だった。それくらいいたのが減ってしまったのも、農薬が原因だと思う。

Q:その頃、アサザはお花見ができるくらいあったのですか?
アサザは昔は霞ヶ浦の中にはなかった。そもそもあれは西日本に多い植物だと思っていた。波のあるところにはアサザもヒシも入らない。今、アサザを植えているところにも昔は無かった。船着き場の川に少しはあったのかもしれないが。

Q:どんな霞ヶ浦を子孫に伝えたいですか。
砂があり、マコモがあり、虫や貝や鳥がたくさんいて、泳げる霞ヶ浦

昔は賑わっていたという桃浦の湖岸

インタビューを終えてから、会が手入れしている浜に行きました。浅くて広い湖は、風が強くて、こういう砂浜が自然なのだと思います。なぜ過去に生えていなかった浮葉植物を植えて、それが自然再生になるのでしょう?

会員の方は、夏にはお孫さんと、かつてのように泳いでいるそうです。
アサザ基金のホームページには子供が老人にかつての様子を聞いている絵が出ていますが、本当にそのような活動をしているのかどうか。。。