土木学会誌編集委員会

学問の細分化により、少し専門が違うと全く交流がないのは、総合科学である陸水学においても例外ではありません。山本(1996)は1933年当時の陸水学会について「理学部の先生方だけでなく工学部関係の阿部謙夫(水文学・土木)、神原信一郎(土木)らの名前もみえ、学部・学科をこえた広い交流があった」としています(拙著参照)。
私が学部学生だった1980年代までは、東大地理の陸水学にはまだ、そのような幅広い交流がありました。当時、東大土木の高橋裕先生が地理の兼担をされていました。講義を聴く機会はありませんでしたが、大学院入試のときに「君は帰国子女のくせに何でこんなに英語の点が悪いんだ」と叱られたことは今でもはっきり覚えています。高橋先生と私の指導教員で陸水学を担当されていた阪口豊先生が共著で書かれた「日本の川」は、図が今でも多くの本やホームページに引用されている名著です。
陸水学会を、設立当初のような総合的な学交流の場にするにはどうすればよいのか。考えていても仕方ないので、何年か前に土木学会に入会しました。そして昨年、土木学会誌の編集委員が公募されていたので応募したところ、今年度から2年任期で、編集委員に採用されました。今日はその初めての委員会。議論の中で東北大学の教員である委員長が今回の災害に触れ、「それぞれの専門だけで考えるフェイルセーフではなく、重層的なフェイルセーフが必要であったことを示しているのではないか。それは、かつて一人の土木者が何でもできた時代には当然のことだったのに、専門化が進むにつれ忘れ去られてきたのではないか」という趣旨の発言をされました。東大の地理が目指してきた陸水学に通じるものがあると思いました。
委員会のあとの懇親会。誰も知り合いはいないと覚悟していたのですが、「山室先生、お久しぶりです」と学生会員の方から声をかけられました。「覚えておられますか?一度だけ、研究室訪問に行きました。T大でT君と一緒の研究室にいたものです。」袖すり合うも多生の縁とは、こういうことかと思いました。