アサザ基金とニセ科学

物理教育第54巻第3号(2006)には、菊池誠先生の「ニセ科学入門」という興味深い論文が掲載されています。なぜ興味深いか。それはこの論文で「ニセ科学」として主に取り上げられているのが、水を対象にしているからです。
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水からの伝言」は「波動」と呼ばれるニセ科学の系統から突然変異的に派生した新種だが、最近急激に勢力を伸ばしつつある。これは水の結晶写真を集めた写真集のタイトルであり、写真集を開くと氷の先端に気相成長で形成された樹枝状の結晶が目に飛び込んでくる。それだけなら、なんら問題はない。ところが、そこで展開されるのは「水に言葉をかける(言う・見せる)と、言葉の内容によって結晶形が変わる」という驚くべき主張なのである。言葉が「ありがとう」なら樹枝状結晶ができ、「ばかやろう」ならできないのだという。この写真集はベストセラーとなり、海外版も出版された。
むろん,これは考えるまでもなく、自明に誤っている。ニセ科学というよりオカルトなのだが、これに「波動」という説明原理に基づく疑似科学的説明を付与して「科学っぽい」見かけにしたところがポイントである。
(中略)
しかし、我々がこの「たわ言」に真剣に立ち向かわざるを得ない事情がある。「水の結晶」が全国の小学校で道徳の教材として使われているのである。
(中略)
道徳授業の標準的シナリオは以下のようなものである。(1)言葉によっで水の結晶形が違い、いい言葉なら「美しい」結晶ができる。この部分は写真を示しつつ「事実」として伝えられる。(2)人間の身体の大部分は水でできている。もちろんこれは事実である。(3)ことばは体の中の水に影響するので、よい言葉を使いましょうと結論づける。いわば、三段論法ならぬ三段跳び論法とでも言うべき飛躍に満ちた論理展開である。
ここまであからさまに非科学的な内容を「事実」であるかのように教えることは、いかに道徳といえども許されるはずはない。生意気ざかりの生徒なら笑い出してしまっても不思議ではないし、実際、先生に向かって疑問の声を上げた生徒が怒られたというとんでもない実例も報告されている。
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これはまさしく、「アサザを植えれば水質が浄化する(4月1日記事の地図帳問題)」とか、「アサザは砂をためます」などの、科学をよそおった非科学的な主張に通じます。

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なぜこのような荒唐無稽な話が授業に使われてしまうのか。まず、その一見道徳的な内容が挙げられる。よく考えてみれば道徳としてもふさわしくないことはわかるはずだが、とにかく「いい言葉を使いましょう」と指導したい先生方は、つい惹きつきられてしまうらしい。

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同じ事がNHKの道徳番組に起こりました。この番組を作ったディレクターは2名の科学者に事実関係を問い合わせ、二人とも疑問を呈したのに、つい惹きつけられたらしく、アサザ基金代表を道徳番組の主役にしました。霞ヶ浦の再生運動として科学的に正しいかどうかは、二の次にしたのです。この番組は学校教育での利用が想定されています。地図帳問題だけでなく、アサザ基金は科学以外の教育分野に、このように取り入っているところが問題です。
マスコミだけでなく一般市民の中にも、多少の嘘であっても、子供が自然保護に関心を持つのならいいのではないか、との意見があるようです。霞ヶ浦にトキが舞うなどという、自然再生とはかけ離れた嘘を示さなければ関心を持たないとの思い込みが、そもそもの間違いです。たとえば私が小学生を対象にしたイベントでやったことですが、波が高いところには砂浜が広がっていて、一見何もいないように見える。でも、その砂を掘ると貝など動物がいることを説明します(可能なら現場で掘るのがよい)。そして貝を植物プランクトンで濁った水が入ったコップにいれると、いれないコップと較べてあっというまに水が澄むことを目の前で示します。子ども達の目は、小さな貝の威力に釘付けになっていました。

菊池先生はこう書いています。「ニセ科学」批判はまったく業績にならず、その割に手間がかかり、あまりにもばかばかしく、しかも訴訟のリスクがあるのだと。
実際、アサザ基金は所属機関に対して、訴訟も辞さないと言ってきているようです。
全く業績にならずリスクもあるのになぜ、菊池先生がニセ科学問題に関わっておられるのかをご紹介します。私も似た考え方から、あえてこの不毛な問題に関わっています。
水は多くの人が関心を持ちやすい一方で、多くの立場から研究が為されています。この為、少し専門が違うと、ある分野では当たり前のことが、他の分野の専門家は全くそのことを知らない。
知らなくても、科学的・合理的思考に従うのであれば間違ったことを吹聴することはなかったと思うのですが、残念ながらアサザ植栽運動においては、ニセ科学を吹聴した科学者がいました。そこには純粋な科学の問題ではなく、政治的な配慮もあったのではないかと思います。自然再生運動に関わる科学者の中には今でも、そういう方が皆無ではないように見えるのです。

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個人的にはオウム真理教が大きかったと思う。言うまでもなくオウム真理教は極めてオカルト色の強い集団だが、同時に「(ニセ)科学的」言説を巧みに利用した集団でもあった。彼らが「科学的なもの」を重視していたことは、教団内に科学技術省という組織を抱えていたことからも明らかであり、たとえばその成果がヘッドギアであった。これが最終的にはサリン製造へとつながってゆく。物理学・物理教育に携わるものが決して忘れてはならないのは、その科学技術省のトップであった故・村井秀夫が阪大で物理学の修士課程を出ていること、つまり物理学の専門教育を受けていたという事実である。
(中略)
科学的・合理的思考を伝える努力をしてきたかどうか、我々はこれからも問い続けなくてはならないのではないだろうか。