息子が二十歳になりました

小さく生まれて心配していたのですが、数時間ですぐにお腹が空いて泣き出す大食漢で、アッという間にコロコロになりました。母乳だけで育てたので数ヶ月はほとんど寝ていなかったのですが、新生児微笑に始まり赤ちゃんの動作のひとつひとつや生理現象が面白くて、疲れた記憶は残っていません。初めてのオムツ替えの時は、母乳という液体を吸収して出てきた便がしっかり固体で、溶存態(DOM)と懸濁態(POM)って本質的な違いはないな、とか考えていたことが思い出されます。
二十歳の息子は嫌みなほどスリムで、走るのが速くて、親の前では滅多に笑顔を見せなくなりましたが、赤ちゃんの頃は本当にかわいらしく笑う子で、近所のショッピングセンターに行くと女学生さん達が「ボーイかな?ガールかな?」「かわいい!」と寄ってきて遊んでくれたものでした。
小学校のときは野球チやバトミントンをやっていて、送迎や練習中の飲み物の準備。子ども劇場という集まりに入って、一緒にお芝居を観たり、剣玉名人の技に驚嘆したり。
息子が5歳の時に交通事故に遭って脳脊髄液減少症になり、また野外調査の時に息子を預けていた母親が亡くなったりなど、よくぞこうもいろいろ起こったと思われる状態だったのですが、大変だったことよりも息子が元気に成人してくれたことが、ひたすら嬉しいばかりです。
離乳後本物の牛乳で育てたいとご相談したら、「みんなの牛乳」の販路につくばを加えてもらうよう尽力くださった故・小寺とき様。出産直後に来て下さり、羊毛を自ら毛糸にして編んで下さったベストにヘルマン・ヘッセゆかりの貝ボタンを付けたベストを贈って下さいました。妊娠以前から化学物質に配慮し、無農薬玄米や野菜で子ども達を育てることができたのも、学生時代から小寺様にいろいろ教えていただいたからでした。
つくばでは安全食品を考える会に入り、そのつながりで予防原則に関する本(下記「レイト・レッスンズ」)の翻訳にも関わりました。子ども達が飲む水の源である霞ヶ浦の環境問題の本質は化学物質ではないかと、主婦仲間と霞ヶ浦関係の市民団体にヒアリングに行ったりもしました。霞ヶ浦を含め、日本の平野部の湖沼で沈水植物が衰退した原因は、そして今でも生えない原因は化学物質ではないかと気づいたのも、こうした活動がきっかけでした。
長かったようで短かった、息子が生まれてからの20年。生活しながら、研究しながら、支えてもらいながら気づいたことは数多くあります。今はそれらを打開するための総合的な水資源環境技術研究所構想を大学に提案し、霞ヶ浦流域では市民の方とともに、私たちの生活の在り方と水の関係を問い直し、全てが流れ込む霞ヶ浦をよりよい形で伝える取り組みを提案しようと準備しています。
孫が二十歳になる頃にはそれらが実現し、放射線汚染も含め、母親達が様々に気を配って防いでいたことが当たり前に防げている世の中になっていますように。

レイト・レッスンズ―14の事例から学ぶ予防原則

レイト・レッスンズ―14の事例から学ぶ予防原則