汽水湖の形成史

「海岸平野における完新世砂州の位置および概形は、各海岸平野に分布する最終間氷期の堆積物がつくる地形に強く規制されている.すなわち完新世砂州地形ば,必ずしも従来の理解のように,後氷期の海進期に浅海底に形成された沿岸州から新たに形成されたのではなく,研究対象とした海岸平野の砂州は,いずれも上述の更新世砂州や段丘地形を土台として発達したものである.」
上記は駒澤大学の平井先生の学位論文の結論です。日本の汽水湖沼になぜ湖棚が広がっているのかも、この学位論文で説明されています。
学生の頃、東大・地理の先輩に当たる平井先生のゼミ発表で上記内容を聞いていたので、コンサルさんが作成した資料の「汽水湖の大部分は後氷期の海面変化に支配されてできた」との記載に「おかしい」と気づくことができました。平井先生の学位論文には、汽水湖沼が今も残っているところでは地殻変動も要因として考えねばならないことも指摘されています。
汽水湖の専門家がそれほど多くない中で、私が学生の頃は汽水湖の珪藻を研究していた先輩や有孔虫を研究していた先輩など、不思議なほど多くの先輩が汽水湖に関わっていました。汽水湖について何を尋ねられても一通りはお答えできるのは、現場で関わっておられる方々から様々に教えていただいたことに加え、地理で学んだことも大きいと改めて思いました。
なお日本の汽水湖沼の形成史については、平井先生の以下の著作にまとめられています。

平井幸弘(1994)日本における海跡湖の地形発達.愛媛大学教育学部紀要(?)自然科学, 14(2),1/71.

上記の概要については、
平井幸弘(1995)『湖の環境学古今書院, 186p, 119-137.
にも記載されているそうです(未確認、取り寄せ中)。