水草に寄せられる過度な期待と専門家

湖沼で水草が生えれば自然が再生する、アオコが減るなど、過度な期待が寄せられてしまうのは、専門家の紹介の仕方にも問題があるのかもしれないと思うことがあります。

例えば「水草は枯死してもすぐに分解しない」から栄養塩が回帰しにくいとの説明があります。クロモ、マツモなどが半分分解するのに要するのは約1ヶ月です。枯死して翌年までには窒素・リンのかなりが回帰しますし、その窒素・リンは水草が水中から吸収した分よりも堆積物中間隙水から吸収した方が多いでしょう。ですから窒素・リンに関しては、堆積物からの濃度勾配による溶出に加えて、水草によって堆積物にトラップされていたものが湖水に出て行く割合が増えることになります。これは水から見ると負荷の増加になりますが、そういった計算をした上で、水草を増やすことで湖水の栄養塩濃度やCODが減ることを示した研究は見あたりませんでした。

水草があれば魚介類の生息場所になる、というのも程度問題です。近くLimnology誌に出る論文で海外の研究を紹介しましたが、密な繁茂が貧酸素化をもたらし魚介類を死滅させることが知られている浮葉植物(アサザ、ヒシなど)だけでなく、抽水植物(ヨシ、マコモなど)であっても、繁茂密度によっては深刻な貧酸素化を招きます(物理的には当然ですが)。貧酸素化した環境に生息できる動物は限られますから、抽水植物が増えれば生態系が再生するとは、一概には言えないでしょう。

そもそも植物プランクトン有機物でできていて、湖底で分解するときに酸欠することが問題なら、水草も同じはずです。実際、私が調べたシベリアの水草が繁茂している湖沼では30%というとんでもない有機物濃度を示します(富栄養化が問題になっている宍道湖では2%)。もちろんシベリアでは水温の影響で分解が進まずたまっているからこの濃度なのですが、逆を返せば、水温が高いところでは分解が進む、つまり水草の分解によって植物プランクトン同様、酸欠が進むはずです。ではなぜ昔は酸欠が問題になっていなかったのか?この疑問から「かつては沈水植物を採草していて、全てが湖内で分解していたのではなかった」という事実を紹介すべきと思い立って出版したのが拙著「里湖モク採り物語」でした。

生態学関係の一部の専門家は、こういった収支計算や実際に過去にそこに対象とする植生があったのか、人はそこでどう植生と関わってきたのかなどの裏打ちなしに、アサザ基金同様イメージだけで「水草は水質浄化になる」「水草は自然再生になる」と主張されているように思います。宍道湖で、かつて存在していなかったヨシを「再生する」として行われた植栽事業は、この典型だと思います。生態学関係者からアサザ基金批判がでてこない一因はこのためではないかと思うのは、私の妄想でしょうか?

里湖(さとうみ)モク採り物語―50年前の水面下の世界

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