曾祖父のこと

私の曾祖父は慶応4年(1868年)生まれです。慶応4年は9月8日に明治元年になったのですが、それ以前に生まれているそうなので、江戸時代生まれと言えます。満86歳(1954年)で亡くなったので、慶応、明治、大正、昭和と4つの元号を経験したことになります。
祖父はこの曾祖父より早く亡くなっています。曾祖父は相当な酒飲みで、戦時中に酒が入手できなかったときは、自分でどぶろくを作って欠かさず晩酌をしていたそうです。一方の祖父は酒は全くダメ。代わりにタバコをよく吸っていたそうで、父は「だから酒は体にいいんだ。」と自分が晩酌を欠かさない言い訳にしています。
父の実家に祖父の写真はありますが、曾祖父のはありません。さすが江戸時代生まれで、写真は魂を吸い取ると堅く信じていたそうです。代わりに肖像画があって、頭はちょんまげ、裃を着ていて、父に言われるまではまさか曾祖父とは思わず、江戸時代初期くらいの先祖だと思っていました。
その曾祖父が亡くなる前の夜、「今日は酒はいいわ。」と飲まずに寝たそうです。そして翌朝、起きてこないので父が見に行ったら、眠るように亡くなっていたそうです。来てもらった医者に死因を聞いたら「老衰」と言われたとのこと。1954年の日本人男性の平均寿命は63歳ですから、平均より23歳多く生きていたことになります。2016年現在、男性の平均寿命は81歳。23歳たすと104歳ですから、「老衰」という死因も分かる気がします。
曾祖父の名前を父に尋ねると、「山室末松、あだ名が宗七」と答えます。山室家の男性は代々「宗」をつけると聞いていたので「逆ではないか」と何度も確認したのですが、「末松」の方が正しいと譲りません。でも、確かに「宗七」という名前は、単に七番目の男子ということを示していただけにも見えるので、もともとは男の子には生まれた順番に宗一、宗二、、、とかつけて、別の名前を正式名にしていたのかもしれません。江戸時代からの墓石には生まれてすぐに亡くなった子供達も含めて名前が全部彫られていたので、次に山室の里に行く機会があったら確かめてみようと思います。
こういったルーツをどこかで書き残しておかないと、今は全く関心を持っていない子供達が将来気になったときに、全くわからないことになりそうです。