日本の大学はUniversityではない

日本の大学ってアメリカのUniversityよりはCollegeみたい、こんなところで学んでいたらハーバードとかにいった友達と差がつくだろうなぁと、高2で日本の高校を中退して東大に入学したときから思ってきたものの、何でなのか深く考えることなく今まで過ごしてきました。
先日、長野県の委員会の新年会で、信大農学部の先生が駅周辺に一泊しての参加と知り、「信大って、本当にキャンパスが離れてますよね。どうしてなんですか?」と聞いたところ、旧師範学校や旧専門学校がそれぞれの場所で信州大学になったからと教えて頂きました。
そういえば東大も初めからUniversityだった訳ではなく、旧制高校やら専門学校などが元になっていたことに思い至りました。当初からUniversityとして始まった欧米の大学とは経緯が違うから、教育方法も欧米のUniverisityと違って視野が狭いものになってしまったのだろうと気づきました。
東大が本当にひどい状態になっているのはこのブログの「崩れゆく東大」でまとめたところですが、そうなるに至った背景として、日本の大学は欧米の伝統ある大学では当然なことが取り入れられることなく、名前だけUniversityになってしまっていることが大きいのかもしれません。改革するには文科省の大学担当者に世界トップクラスの欧米の大学に学部1年から大学院まで留学してもらって、その違いを実感してもらうしかないかもしれません。
(追伸)
17年前に立花隆氏が下記の本を出しました。日本の高2で留学してアメリカの高3に編入し卒業、その間、ハーバードに行ってた先輩の寮に泊まらせてもらって植物学の講義などを潜りで聞いていた私からするとほんの一部しか指摘していない印象でしたが、書いてくれてよかったと思ったものでした。
今の東大教授の大部分はこんな教育を受け、かつ東大以外に出ることなく助手→准教授→教授に至るという状況に寒気を覚えざるを得ません。

東大生はバカになったか―知的亡国論+現代教養論

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