森博嗣「小説家という職業」

気づいたら年末から年始にかけて、森博嗣氏の本を立て続けに3冊読んでました。小説ではなく新書ばかり。考え方がすごく似ていて、「そう、そうなんだよね。」と、自分の中で言葉になっていなかったことが言葉になっていて助かるので。
たとえば下記の文章は「まえがき」からです。
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僕は「人間関係の軋轢の中で、なんとか自分の立場を守る」ことがビジネスだとは考えていない。それは給料をもらうための方策かもしれないが、ビジネス、すなわち「商売」ではない。組織の中で自分の立場を守ることよりも、もっと広く社会のニーズを眺め、これからいかに展開していけば良いのかを考えて迅速かつ的確に手を打つ、ということが重要だ。周りの人間に好かれるために仕事をしているのではない。理想があれば、その理想を拠り所にして行動する。できるがぎりそれに近づく方向を目指す。そんな甘い方針を本気で掲げるのが、僕のやり方である。自分の立場を守ることに終始すれば、立場は確かに守られる。そして、つつがなく定年まで勤め上げることができるだろう。そういう人は「世間の厳しさ」を知ったことで、苦労を重ねた自分に満足すれば良い。僕は、そんなものを知りたいとは思わない、というだけのことだ。
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ビジネスは「商売」ではなく「仕事」でしょうと思う以外は全く同感でした。
同じ本で森氏は自分を批判する言葉について、「非論理的で感情的になりやすく、個性が出るし、人間性が見える。これは簡単には自作できない。レアな素材といえる。」と書いています。これも同感です。批判することで得られる素材は結構使えます。例えばアサザ基金という団体を批判したことでその団体のシンパから散々批判されたり、週刊誌につるし上げられたりしました。それによってどういう系列の人達がこの団体を支持しているのか、どういう考え方をしているのかを解析するのに役立ちました。
また、悪口を言ったりイジメを行う人は、自分がそうされるのを極度に恐れています。だから人にやったら効果があると思ってやっているのです(ここまでは森氏が書いていること)。なので、自分は全然ダメージを受けていなくても、やられたら必ずやり返す、可能なら倍返しくらいにしてやるのが得策です。馬鹿な奴と思って無視していると、相手は効果があったと勘違いして、またやってくるかもしれないからです。これは私の意見なのですが、多分、森氏も同様に考えているだろうと思うフシを122頁に書いていました。
「優しい言葉を使って意見が無視されるよりは、怒ったふりをして多少は考えてもらう方がよい、と僕は考えるようになった。実は、まったく全然怒っていない。」
小説家になるつもりが無くても、就職前の学生さんや、就職後に職場の人間関係に理不尽だと感じた方には、参考になる言葉がいろいろ書かれている本だと思います。

小説家という職業 (集英社新書)

小説家という職業 (集英社新書)