もやもやの原因

晴耕雨読(=晴れたら野外調査か庭仕事、雨が降ったら仕方ないから論文でも書く)を理想とする私にとって、堂々とテレワークできる現況は願ってもない環境のハズなんですが、つくば市で外出自粛が呼びかけられるようになった頃から、もやもやというか、気持ち悪さというか、何かがおかしいと感じていました。

昨夜、「そうだ、これが気になってたんだ。」と気づいてブログに半分を書きました。ほぼコロナばかりが報道され、しかもその内容がどの局も変わり映えしない気持ち悪さ。鳥取を壊滅させた地震を一切報道しなかった戦時中の大本営による操作みたいだと思い、他のリスクも消えたわけではないと書きました。

そしてそのブログを引用したツイートには、もう半分のもやもやを書きました。

「誰もが同じ事しか見ない、言わないのは、コロナ下の経済状況として言われているように、第二次世界大戦をもたらした世界恐慌と同じ、異常事態です。せめて日本人だけでも、もう、あの間違いを繰り返さないように。こんな時だからこそ、自分が正しいと信じることをしましょう。」

この状況では「ほしがりません、勝つまでは。」的に、いろんな理不尽が美談の陰で横行していて、それはおかしいと指摘することさえためらわれてるのではないかと感じたからです。

果たして、今日は複数のテレビ局で、大学病院では無給医がコロナ対策に刈り出され、万が一感染しても労災に該当しないと言われたとか、明日からコロナ病棟になるので子供に会えないけど私達が頑張るしかないと看護師が語るとか、陰の部分がチラっと報道されてました。実は人権無視に近いことが医療現場の至るところで起こっているのだろうと思います。

コロナウイルス感染対策が「戦い」であれば兵隊が必要で、それを有無を言わさず徴兵制にするにはそれなりの議論があってしかるべきです。現実には、かつての戦時体制のようなメンタルでの強行が、医療現場だけでなく、いろんな所で起こっているのでしょう。

かつては、まだ中学生だった父親でさえ、回天に乗って自爆し敵の艦隊に少しでもダメージを与えることが、正しいこと、為すべきことと信じ込まされていました。日本が中学生にまでそのような考えをたたき込むに至るまでには、本当はしたくないのに、「今は大変な時だから私が我慢すれば。」という気持ちにつけ込む勢力があって、その積み重ねで一億総玉砕が普通に言われるに至ったのだと思います。

今回のコロナで「非常時だから。。」が通用するようにしてしまっては、また同じような非常時が起こったときの、悪しき前例になってしまいます。日本は相変わらず、システムで何とかするよう合理的にPDCAサイクルを回して対処するのではなく、個人の犠牲の上にその場しのぎを繰り返すのか。

書くことで気になっていることがよりハッキリして、もやもやが解消しました。今後はこの2つの観点から観察を積み上げ、だから自分はどうするかを検討するのみです。たぶん、海外のどこで暮らすのが自分のしたいことが一番できそうか、という方向になりそうです(最近、島根県で本当にガッカリすることが起こって、日本全体も同じだろうと思うこの頃なので)。