「ネットで日本語でゲットできる情報しか知らない(=国際誌論文を読めない)、自分でデータとらない、統計を敵視する(=自分に都合のよいデータを批判的に見ることができない)」なんて三拍子揃ったら日本でニッチ的に専門家面できても、一般のサイエンスの世界では通用しません。
日本にはそういった似非専門家は少なくはありませんが、水環境の現場を自らの目で見ている方々の集まりなら、こんな似非専門家をあがめるなんてしないと思っていました。そうではなかったようで大変残念に思うこの頃です。
水から環境を考えるのは、私にとっては子供の頃からしていたことですけど、多くの日本人にとっては難しいことなのでしょうね。
(追伸)
今年度で最終とした本郷の水圏環境学で、冒頭いつも言っていました。
ヒトは空気、水、食べ物がないと生きていけない。
空気はナウシカの世界でなければ通常はヒトが吸って問題はなく、かつ、世界中に均等にある。水はそうではないことは、砂漠と日本を比べれば明らかだろう。つまり水は資源でもある。
日本でも毎年断水する地域もある。そして食べ物は基本的に一次生産者である植物を育てるところから得るので、水は不可欠である。
ヒトが生き残るためには水を資源として、かつ環境として、私たちがどのように水と関わればよいかが問われる物質であり、環境なのだ。
この講義は今後50年はこの日本で生きていくあろうあなた達が、どのように水と向き合うのか考えてもらうために行う。
某団体の方達は、こういった講義を聞いた経験がなくても常識として基本は知っているのだろうと信じ込んでいた私がバカでした。そういった人は父だけだったのでしょう。。