生態学って、何でしょう?

産業技術総合研究所で、気球と水中ロボットを使って、亜熱帯海草藻場の分布範囲を調べる装置作りのプロジェクトを展開しました。
卒論以来の多毛類分類友達は、島根県水産試験場に就職し、新婚直後に、潜水調査で浮上したところを、漁船に轢かれて死にました。タイの海草藻場を一緒に調べていたアノン助教授の学生は、素潜り調査中、突然死しました。
人は陸で生きるように進化して、でも地球の7割は海。地球を本当に知るには、海は避けて通れない。だからこそ、安全に海を知るのが大切と思って、もう二度と、海を調べる若い人たちが死んでほしくないと思って環境省に申請し、採択されたこのプロジェクトの評価委員会で「一般市民が近づけないところに、高価な機器を使って調べても環境保全にはなりません。どうしてこんなプロジェクトを採択したのか、疑問に思います。」と発言された先生がおられました。この発言のために、次はジュゴンにとって必要な藻場を重点的に調べようと思っていた計画は破綻しました。
その先生は生態学では権威でいらして、私の地元の湖では、一般市民の目に見える所で咲く浮葉植物を回復することが、水質浄化になると指導されておられました(その植物は、実は水質的には汚濁が進むとより繁殖するらしいとの研究もあります)。
つまりこの生態学の権威の先生には、水惑星と言われるこの地球の、陸からの視点が全てなようです。水惑星から陸に生きるように進化した人類は、ある程度専門知識がなければ本当に水環境を知ることはできないという、例えば深海研究では当たり前のことでも「お金を使いすぎる」との理由で却下することに疑問をお感じでないようです。
私は生態系における生元素循環など、生態系を研究対象にはしていますが、こういう先生がおられる生態学会には近づかないようにしています(共同研究者から誘われてサテライトシンポジウムで話させていただいたのが唯一です)。一方で、こんな私が生態学琵琶湖賞を受賞しました。琵琶湖という、滋賀県の広範な面積に水を抱える現場に、本当に必要な水環境の研究は何なのか?関西圏の先生方には、理解していただけたのだと思っています。
でも私の学生達には、こんなばかげた話は知りようもないし、あまり生態学をけなしても角が立つばかりだし、自然再生と言えばこの先生のプロジェクトがもてはやされるのが今の日本。批判は控えて、これ以上悪評が立たないように生態学をされるかたとのバッティングも極力避けて、学生さん達が自由に研究できてなおかつ就職にも不利にならないように配慮しなくちゃいけないんだろうなと思うこの頃です。それで今日、あるプロジェクトを中止し、別の場所で行うことにしました。大学は研究だけじゃなくて教育も、というのはこういうことなんですね。