地理学者(2)

六本木にある国立新美術館では、12月17日まで「フェルメール<牛乳を注ぐ女>とオランダ風俗画展」を開催しています。
寡作で知られるフェルメール。そのフェルメールがなんと、「地理学者」という題名の絵を残していたとのルポを、全日空の機内誌で読みました。
それによると、「地理学者」のモデルは、顕微鏡の発明や微生物の発見で知られるレーウェンフック。独学で測量学を勉強したレーウェンフックの肖像画(フェルコリエ作)にはコンパスと地球儀が配置されていますが、同じディテールがフェルメールの「地理学者」にも描かれています。
レーウェンフックは商人になるべく育てられ、公務員となり、生前に大きな資産を残した実業家でもあります。その彼の中では「見えない物を見えるようにしたい」という顕微鏡作りへの情熱と、地球を測る情熱とが共存し、そういう彼をフェルメールは「地理学者」と名付けたのです。
私にとって地理学はフェルメールのセンスの地理学に近い、総合科学です。でも現実の日本の地理学はそういう雰囲気が欠けるように感じて、う〜ん、私は時代錯誤人間かと思ってしまいました。
それで、歳の近い東大地理の先輩に意見を求めたところ、ちょっと違った見方が返ってきて、これはこれで面白い考え方でした。
彼によると、地理学・地球科学の本当のおもしろさは、未知の地点への探検。けれども「探検」の部分は極限環境や惑星探査などにお株を奪われ、既に分かっていることを以前よりもっと細かくやる研究ばかりになってしまっているから、今の地理は面白くないんじゃないか、ということでした。そうなのかもしれない。