エビデンス

日本の多くの湖沼(特に指定湖沼)で衰退してしまった沈水植物が、富栄養化による弊害の防止に大きな役割を果たしていたことが、近年明らかになってきました。
沈水植物の衰退原因として一般には、富栄養化の進行によって植物プランクトンが増え、湖底に生活する沈水植物は十分な光を受けることができなくなり枯死、それらが使っていた栄養がますます植物プランクトンに使われるようになったと説明されています。この説に立った実験も可能です。
ただし日本については、植物プランクトンが増える前に沈水植物が枯死し、その後で植物プランクトンが増えている水域が多いことが分かってきました。その時期が調度除草剤が大量に投与された時期に重なりますが、どの成分が枯死させたのかは、既に登録禁止になっている農薬が多いこと、またCNPやPCPには不純物としてダイオキシンが含まれていましたが、沈水植物が枯れた原因がその当時の農薬の不純物成分だと、何がどれくらい播かれたのかを推定することさえ困難になります。従って、厳密な実験によって「エビデンス」を得ることは、ほぼ無理です。
水環境問題にはそのように、厳密な実験が難しいテーマが少なくないのですが、実は人体もそうではないでしょうか。特に多種多様な環境要因のどれによってどのような影響がでるかを、それぞれ、実験を行うまでの生育環境が異なる人間に対して、厳密にコントロールして実験することが本当に可能なのかどうか。
昨日ご紹介した食品汚染に関するシンポジウムでも懸念されていた、化学物質が人体に与える影響。「影響が無い」と主張したい立場の方は、自説を主張するのはとても楽です。「エビデンスがないではないか」と言えば済むからです。でも、環境から影響を受ける症状については、そもそも、そういう立場の方が主張するようなエビデンスを得ることが不可能なのだとしたら、それは自然科学として現象を追求する上で正しい姿勢と言えるでしょうか。
地球科学のテーマのひとつである大進化については、再現実験は恐らく不可能だと思います。しかしそれがどのように起こったか、様々な状況証拠や論理的な議論で追求する学問を「あれは自然科学ではない」とは言いません。
環境中にわずかな濃度ながら蔓延している化学物質が人間に与える影響については、直接実験に基づかない事実の積み重ねを、一概に否定しない合意が必要だと思います。