風土の違い

同じ東大の先生方から「風土の違いですかね」と驚かれるのですが、学部から博士までの指導教員だった阪口先生、そして阪口先生のご退官後に引き取って下さった米倉先生との共著は1本もありません。
書かなかったわけではなく、陸水学雑誌や第四紀研究などに、宍道湖甑島湖沼群の多毛類の分布(単著)、また米倉先生のご専門のテクトニクス分野で、元禄地震と大正地震の隆起量の推定(共著)の論文を書いています。
当時の理学部地理学科は、指導教員よりも先輩方から指導される感じでした。阪口先生からも「僕は何も教えないけど、一応指導教官なんだから、よそで誰に世話になったかくらいは報告するように。」とだけ言われていました。初めて自分で最初から最後まで書いた陸水学雑誌投稿論文は、別刷ができてから初めて阪口先生に持って行きました。先輩方の論文も、指導教員との共著は少数派だったと思います。
研究に必要な機材や資金も、ほとんどバイトで稼いでいました。それは私だけではなかったと思います。例えば電話は使った時間を測って実費を支払い、大型計算機を使う課金は院生回り持ちで大型計算機センターの「プログラム指導員」を務め、給料代わりにいただける使用時間を院生で分け合って使っていました(何かの間違いで私がこの「プログラム指導員」になり、他の学部から来られていた院生さんたちには随分とご迷惑をおかけしました)。私自身は、ピペットマンから冷凍庫から、自分でバイトして稼いで買っていました。
だからというわけでもありませんが、陸水研にもたまにはこういう学生さんが来るとおもしろいかなぁ、と思います。水に関するXXについては、自分はたぶん世界一情熱を持っている。最低限の実験室さえあれば、あとは自分で稼いで研究するから、とにかく籍だけ置かせてほしい。
もっとも最近の陸水研は、かつての地理の雰囲気に近づいています。28・29日はM1全員が秩父に窒素飽和の調査に行きます。30日からはM2全員が屋久島へ樹林化の調査。どちらも学生さん達で企画し、準備しています。必要経費は今のところ研究費で充てていますが、この先、たとえ指導教員が予算獲得できなくても、自分たちのやりたい研究を工夫して、教員そっちのけで進めていける研究室になってくれればと思います。