もうすぐ50歳。何が起こるかわからないフィールドワークに備えて体力を維持する努力はしていますが、やっぱり身体能力は衰えています。かつては閉眼片足立ちなんて1分以上平気でできましたが、今は20秒も危ない。老眼がどんどん進み、眼鏡なしでは本は全く読めないけど、これまで裸眼で生きてきたから、かけると頭痛がしてきます。幸い論文はPDFで取り寄せるのでPCで超拡大し、かろうじて仕事はできますが。
日頃使っていないところはもっとひどい。久々に長いドライブをして好きな曲を流しながら歌っていたら、音程の外れ方がすさまじい。
かつては一人の人間が様々なことを生活で行っていたこと、また、かつての暮らしは現在よりは何が起こるか分からない自然との関わりが多かったことを考えると、生き物である人として健やかに生きていくためには、人工空間での日常では使っていないところも意識的に使うようにするのがよいのかなと思います。
かつてはいろんなことをするのが普通だったのかなと思うのは、80歳になる父から受ける印象によります。
農家に育った父は、洗濯も料理も裁縫もできます。父が子供の頃は両親は農作業にかかりきりだったので、妹たちの子守をして家事をするのは父の仕事だったそうです。乗馬にいたっては、裸馬に乗れちゃいます。祭りなどで歌っていたのでしょうか、歌も上手です。野山を歩けば、それらが食べられるかどうかが一番の関心事。記憶力と観察力は脱帽ものでした。一方で、子供の頃は竹でカゴをつくり、とってきたメジロをいれて遊んでいたとかで、果樹を食べに来る鳥対策も任せられます。私はこんなことできません。
そう言えば、父の母、つまり私の祖母は、線路というものは歩くためにある(それくらい昔は電車の本数が少なかった)とみなしていて、これが最短距離だからと、檀家をしている寺まで何駅分も、線路を歩いて行きました。つれられた私の恐怖たるや。この祖母は三重県の多度から大阪の私の家まで、歩いて来たこともありました。ずっと元気だったのに、突然亡くなりました。
父の祖父、わたしのひいおじいちゃんも「ころっと」タイプでした。毎晩4合飲む大酒飲みなのに、ある夜「今日はええわ」と言ったそうです。父が「これはおかしい、何かあるでぇ」と兄と話していたところ、翌日亡くなったそうです。90歳を超えていました。
長寿社会の中、そういった身内の例を参考に「元気」で長生きする工夫もしていこうと思いました。