市民型公共事業は誤りにどう対処するか?

アサザ基金のホームページに、植生帯復元前後の写真が掲載されています。

アサザ基金のホームページより、「植生帯復元後」とされる画像


「植生帯復元後」の写真は、背景の丘の様子から境島地区という所です。
同ホームページで「市民の声が国を動かす 〜植生帯復元事業〜」とあるように、この工事はアサザ基金手弁当でやったのではなく、緊急保全工事として国土交通省に行わせたものです。当時、アサザ基金が植生保全をどのように考えていたか、今もこの境島地区に残る看板に見ることができます。

この看板の記載によると、湖岸がコンクリート護岸されてしまった直後は(本当かどうかはさておき)、抽水植物アサザがあったのだそうです。しかし今はヨシしかない、アサザがピンチ!それで、

ここには復元目標として明確に「アサザ抽水植物」とあります。かつては霞ヶ浦水草の大部分を占めていた「沈水植物」という言葉はどこにもなく、非常に偏った目標だったことが分かります。だから、本来は沈水植物を復元すべき場所に粗朶消波施設などを造ってしまったのでしょう。
沈水植物を無視していたことから分かるように、この当時のアサザ基金のご提案は、きちんと自然を観察した、もしくは水生生物に関する基礎知識に基づいたものではありませんでした。ですから、当然ながら失敗に終わりました。すなわち、事業から10年経ってできあがったものは、復元イメージとは似ても似つかぬ、水際に樹木、堤防近くに外来種セイタカアワダチソウという埋め立て地の景観です。

アサザ基金のホームページで「植生帯復元後」とされる場所の2010年10月時点の状況


この埋め立て地、ご覧の通り、ちゃんと草刈りしないと湖岸までたどり着くのも大変で、親水性も大きく損なわれました。
私はこの工事以前のこの場所に地学の巡検で来たことがあります。当時は砂が堆積しており、二枚貝が目立つという、霞ヶ浦の特徴が残っていました(アサザ基金のホームページの「植生帯復元前」という写真は、故意か間違えてか、他の場所のを貼っています。「植生帯復元後」の写真と、背景の丘が違ってません?)。

アサザ基金のホームページより、「植生帯復元前」とされる画像


今ではボロボロになって打ち上げられた貝殻は見つかりましたが、かつては容易に見つけた生きた二枚貝は、とうとう見つかりませんでした。

「自然再生事業」後の境島地区の水際


このような誤りの責任を「市民型公共事業」ではどうとるのか。これは失敗ではないと主張するのか、施工した国土交通省に責任転嫁するのか、事後モニタリングによる悪影響の指摘も無視して粗朶消波施設造成とアサザ植栽を事業として掲げ続けるのか。
「市民型公共事業」に関心を持つ全国の方々は、間違いを指摘されても止まらない従来型公共事業とは違うと期待していると思います。ですので、この状況をアサザ基金がどう対処するのか、関心を持って注視していることでしょう。