小規模環境インフラの課題と将来

環境学会シンポジウムで昨年秋に開催された「小規模環境インフラの課題と将来」での討論の内容が、学会の部会である身近な生活環境部会の会報「みず」で紹介されました。

・責任所在が唆味なこともあり、続けることは惰性でできるが止めるためにはしっかりした認識と判断、努力が要る。
・人が好むこと、楽なことを認識させるのは簡単だが、いやなこと、嫌いなこと、大変なことを認識させるのは難しい。知らせないでおくほうがずっと簡単で、近いうちに破滅がくるにしても自分の任期中は大丈夫そうとあれば苦労したくないと考えがちになる。
・地域の事情を考慮しない画一的な技術指針の元では無駄や無理が増え、必要なエネルギーやコストも増える。無駄、無理が多くても高度成長期で人口も増えていた時期はあまり目立たなかったが、成長は見込めず人口は減少している現在、同じことを続けることはできない。

インフラ以外の水環境問題も同様に思います。
「粗朶消波施設を作ってその岸側にお花見ができるほどアサザを増やすことは、湖岸の自然環境をかえって悪化させる危険がある」と指摘を始めたのは、「アサザを植えれば水質が浄化する」と多くのホームページで記載されていた頃でした。ここで反論を展開すれば苦労することは、同様の指摘を既にされていた方々の状況から明らかでした。案の定いろいろ大変でしたし何の業績にもなりませんが、続けてよかったと思います。

「地域の事情を考慮しない画一的な指針」という点では、指定湖沼の中でも汽水という特徴的な水域である宍道湖・中海について「湖沼に関する全国一律の指針に従っていいのか」から検討したいと考えています。「止めるためにはしっかりした認識と判断、努力が要る」のですが、その根拠となる論文がようやく受理されました。

「みず」の紹介記事には、こんな文章もありました。

「必要なのは腹を括ること、でもその覚悟をすることは難しいことです。次世代が健康で安全な生活を送るためにまだ間に合うことを願って、本シンポジウムのような討論の場が、その覚悟のための助けになることを願っています。」