自然科学からは不可思議なアサザ基金の主張

アサザ基金のホームページを久しぶりに見たら、
活動紹介>湖岸の自然再生
で、湖沼環境を専門とする私には不可解な主張が掲示されていました(9月2日現在)。
http://www.kasumigaura.net/asaza/03activity/01lake/01sizen/index.html
以下、「」がホームページにあった記載で、それに対して→でコメントしました。

「1.原則アサザ群落がもともと生育していた場所での再生を行なっており、湖全体の中で見れば、アサザが湖面を葉で被うとしても限定された地域になることから、もともと湖のほぼ全域に生育していた沈水植物群落の再生場所は十分に確保されています。」


→「もともと生育していた場所」というのは、いつの時点なのでしょう。アサザ基金が護岸工事や水位操作を自然破壊としているのであれば、それ以前のアサザの分布を示すべきですが、記録は残っていません。
「もともと湖のほぼ全域に生育していた沈水植物群落」という表現も誤解を招きます。沈水植物は、同じ水深なら同じように分布するわけではありません。例えば私の研究室では1947年時点の沈水植物の分布を航空写真から復元していますが、生えているところと生えていないところがありました。現在、アサザ保全のために消波堤が造られたりアサザが植栽されているところが、かつて沈水植物が密集していたホットスポットだとしたら、その影響は大きいと言えます。


「2.アサザ群落が水面を被い水中の沈水植物が再生できないという批判については、水位上昇管理以降にアサザ群落が次々と消滅し、すでに消滅後10年以上経っている地域もありますが、一向に沈水植物は再生してきません。
これは、現在の水質汚濁が進み富栄養化した湖の状態(透明度がきわめて低い→水中の沈水植物に日光が届かない)では、沈水植物の再生は不可能であるということです。」


→水位上昇管理が減少の原因だとしたら、麻生や和田岬アサザ群落は、なぜずっと健全なのですか?
琵琶湖や宍道湖では沈水植物が復活しています。水質が改善されたわけでも、コンクリート護岸を壊したわけでも、水位操作をやめたわけでもありません(琵琶湖では一度だけ暖候期に水位が下がったのがきっかけではないかと言われています)。
そしてこれらの水域では、復活した沈水植物による漁業被害が懸念されています。元の自然に戻せばよいという単純な話ではなく、人と湖の在り方をどうするかが問われています。アサザ基金は総合とか全体という言葉をよく使いますが、このホームページに書かれていることはとても「個別縦割り型」です。


「また、湖の中に造られた浅瀬に沈水植物が再生することがありますが、2,3年でヨシやヒメガマ、マコモなどの抽水植物が浅瀬を被い尽くしてしまうため、沈水植物は消滅してしまいます。」


→ 人工的に場を改変することが自然再生につながらない事例ですね。アサザ基金による粗朶消波堤も同様ではないでしょうか。
http://d.hatena.ne.jp/Limnology/20101007


「沈水植物群落の再生には、困難な課題ではありますが流域の社会システムの再構築(環境保全型・循環型社会)を通して湖への流入負荷を減らし、湖の富栄養化を改善する以外にないと考えます。そのため、アサザプロジェクトではホームページで紹介しているような水源地再生事業や環境保全型農業推進、流域全域での環境教育、循環型まちづくり事業、森林保全などの多様な取組みを、流域全体を視野に入れ展開しています。これらの取組みを総合的に評価するのが、湖の沈水植物です。」


→先にも書いた、琵琶湖や宍道湖の例を参考にしてください。


「3.長期的な視点でアサザの存在を捉えてみた場合、アサザプロジェクトの流域全域での展開が実を結び将来湖の富栄養化が改善された時には、各アサザ群落の大きさ(葉で水面を被う面積)は縮小するでしょう。それは、かつて霞ヶ浦富栄養化する以前の調査結果を見ても明らかです。それに変わって透明度の高くなった湖内に大規模な沈水植物群落が再生されると考えています。このような状態がアサザプロジェクトの目標となっています。」


→いったん浮葉植物に覆われると、沈水植物は復活できなくなります。国内外に浮葉植物によって沈水植物が消滅したとの報告があります。何を根拠に上記を書かれたのでしょう?


「なお、アサザ基金では、沈水植物群落の再生実験をこれまでにも行なってきました。霞ヶ浦の湖内での実験(日光が届く浅瀬で再生を試みたが失敗)の他にも、学校の使われなくなったプールを利用した実験などを行ない環境教育と一体化した形で調査や観察を実施しています。プールでの実験では透明度の回復に伴い全域を沈水植物で被うことができました。また、一緒に植えたアサザの群落もあまり大きくならないことを確認できました。」


→この実験を根拠に、浮葉植物が覆っても沈水植物が復活するとしているのでしたら、実験方法や結果の解釈を科学的に行う必要があります。


「4.アサザ群落ができると水面を葉で被うために、水中の酸素が減少し水質を悪化させるという批判があります。その場合よく参考事例として示されるのは、浮草(湖底にまで茎をのばさず湖底に根も張らない)で水面を被われた水域です。たとえば「ボタンウキクサ外来種)で被われた池を見せて、これに黄色い花を付ければアサザと同じだ」といった乱暴な批判を行なう研究者がいます。
しかし、アサザは浮草とは違い(アサザは水中の茎から多くの根を出すヒシとも異なります・ヒシは一年草でかつ湖底で種子が発芽できるため、前年までに散布された種子から一気に大きい群落をつくることができます。一方アサザ多年草で、種子は湖底では発芽できず、一気に水面を覆うことはありません)、アサザは水面に浮く葉から茎が湖底に向かって伸び、そのまま湖底の土の中の地下茎につながっています。水面に浮くたくさんの葉のそれぞれには小さな穴がいくつも開いていて、ここから酸素の少ない湖底の根にまで空気中の酸素を水中の茎を通して送っています。アサザはこのような通気システムを持っているため、アサザ群落の下の水底には酸素が根から供給されます(Grosse W, Mevi-Shuetz J (1987) A beneficial gas transport system in Nymphoides peltata. American Journal of Botany, 74, 947-952.)。また、アサザ群落の無い水底に較べて、水底に生息する生物の種類・数ともに多くなるという研究があります(Brock TCM, Van der Velde G (1996) Aquatic macroinvertabrate community structure of a Nymphoides peltata-dominated and macrophyte-free site in an oxbow lake. Netherlands Journal of Aquatic Ecology, 30, 151-163.)。
つまり、アサザが水質を悪化させるという評価は、アサザのごく一部分を見た個別縦割り型評価の典型といえます。」


→Grosse W, Mevi-Shuetz J (1987)が湖底に酸素を供給すると主張していないことは、 http://d.hatena.ne.jp/Limnology/20110118
を参照してください。
また浜のアサザ群落内で2004年5月に測定された溶存酸素濃度は2.5mg/lで、明らかに貧酸素化した事実があります(河川整備基金助成事業報告書)。
何も無い砂浜にアサザはえれば、水の中だけでみると、アサザをよりどころにする動物が増えます。しかし二枚貝など底に潜る動物や、一時的に砂場を利用する魚類までも対象にすると、「植物がある方が多様性が増える→だから植物を植える」という単純な話にはなりません。たとえばメイド・イン・ジャパンの外来種であるコアマモという海草が砂浜に侵入すると、付着性の生物や植物群落に依存する生物は増えます。しかしその底に住んでいた動物は減少し、海外で問題になっています。
霞ヶ浦はもともと二枚貝が多い湖でした。二枚貝がたくさんいたところは、沈水植物も少なかったはずです。何も無い、砂しかない環境を好む二枚貝がいたからこそ、霞ヶ浦には多くのタナゴ類(二枚貝に産卵する)が生息できたのです。消波堤の建造や浮葉植物の植栽は、二枚貝が生息できる環境の破壊につながります。実際、霞ヶ浦では二枚貝が減少しているのです。
アサザ基金水草について偏った理解をしているだけでなく、湖に生きる動物に関する常識が決定的に欠如している可能性があります。例えば下記の記事でもそう思いました。
http://d.hatena.ne.jp/Limnology/20101001


「いずれにしても、アサザはもともと自然に霞ヶ浦の植生帯の一員として生育していた水草です。そのような植生帯の中でアサザが多様な生物とどのような複雑な相互作用を持つのかはまだ十分に解明はされていません(アサザの葉を食べる魚や水鳥、昆虫等との関係・食物連鎖もその一部です)。しかし、それは、植生帯と構成するアサザ以外の多様な種も同様であり、そのような科学的な視点から見ればある側面を捉え「どの水草は悪い」「どの水草は良い」といった勝手な価値観を声高に主張し、生態系の解明に向けた研究や評価に持ち込むこと自体が、非科学的であり科学の基本を逸脱した行為と言わざるをえません。とくに大学等での科学教育の充実を望みます。
しかも、霞ヶ浦アサザは現在きわめて危機的状況にあり、これ以上の減少を食い止めなければならない時に、上記のような部分的な評価で「アサザを植えるのは悪いこと」「水質を悪化させる」などと云った情報を流布することは、ただアサザを絶滅に追い込む手助けをしているに過ぎないことになります。」


→「どの水草は緊急に保全すべきだ」といった勝手な価値観を声高に主張し、消波堤造成と「アサザ」植栽を緊急工事として強行させたのは誰なのか、ブログで書いておきました。アサザ基金がホームページで掲載している消波堤は、国民の税金で造られたものです。
http://d.hatena.ne.jp/Limnology/20101112
http://d.hatena.ne.jp/Limnology/20101017
http://d.hatena.ne.jp/Limnology/20100812

「生態系の解明に向けた研究や評価に持ち込むこと自体が、非科学的であり科学の基本を逸脱した行為」
は、真実を糊塗しようとする主張だと思います。アサザも含め、本来の霞ヶ浦とはどういう環境で、そのためには何をどうしていくか、多くの関係者で話し合って合意を形成していくべきです。
その際に自然科学の知見が重要なのは、言うまでもないことです。自然科学の基礎的な知見を無視してしまうと、「シジミの漁獲が産業として成り立つほどの塩分で、かつ表層は塩害を起こさない淡水という霞ヶ浦」など、物理的に不可能な霞ヶ浦を目標にして、無駄な努力と税金の無駄遣いに終わることもあり得るからです。
私は科学者です。かけがえのない霞ヶ浦の環境に対する改悪事業を、科学を持ち出して正当化しようとする議論には、反論することこそ科学者の良心に従うことです。
読者の皆様にはご紹介した議論を比べて、湖の環境を考える上で何が大切なのか、ご自身の考えで判断いただければと思います。