琵琶湖に「ヨシ原」はほとんどなかった

島根県宍道湖では、10年前くらいから水際にヨシを植栽する事業が進められています。日本生態学会編「自然再生ハンドブック」で「自然再生が成功した例」と紹介されている事業ですが、根拠とされる国土交通省のパンフレットについて元データを当たってみると、ヨシ植栽地よりも植栽していないところの方がヤマトシジミが多いという、パンフレットとは逆のデータでした。思い込みが率先して作られたパンフレットを、不用意に引用してしまったようです。
でも琵琶湖では条例を作ってヨシ原を再生しようとしているではないか、と反論する方もいます。滋賀県琵琶湖環境科学センターが2011年に出した「琵琶湖岸の環境変遷カルテ」という報告書では、その琵琶湖のヨシ原再生事業について下記のように、
「1992年以降、ヨシ群落保全条例により保全区域が指定されていますが、これらの指定区域も、そこに生育している「ヨシ群落」を指定しているのではなく、特定の範囲を指定しています。しかし、条例の掲げた多様な要素から成る湖岸域植生帯の再生事業では、「ヨシ」という1種の植物のみが積極的に植栽されてきました。」
と、琵琶湖の事業で「ヨシ」のみが植栽されてきた経緯が紹介された上で、
「本来、琵琶湖岸の抽水植物帯の中でも、琵琶湖本湖ではツルヨシが優占する箇所の方が多く、ヨシは主に波浪の弱い水域に限定的に分布しています。このような生物種の分布特性は、第一部で述べた波浪の強い大湖沼としての琵琶湖の湖岸環境条件に起因しています。」
と、波が大きい湖沼では、ヨシ群落は本来、地形的に波が弱いところに限定的に分布していたことが紹介されています。このことは宍道湖でも同じです。護岸工事によって抽水植物としてのヨシが減ったのではなく、波が高い宍道湖では、ヨシ群落はもともと無かったのです。それなのに、消波堤まで作ってヨシ群落を植える事業は、少なくとも「自然再生」事業ではありません。
ましてや、ヤマトシジミの増産につながるはずもありません。水際に不自然な消波施設や植栽されたヨシがあったら、流されてきた浮遊幼生がトラップされて無効分散になることが容易に予測されます。実際、ヨシ帯の方がシジミが多いという信頼できるデータは存在しないのです。私はむしろ、ヨシ植栽事業がシジミの減産の一因になってきた可能性を検討したいと思っています。
琵琶湖の報告書は今後について、ヨシではなくツルヨシなど、本来の状況に戻すことが重要であると指摘しています。宍道湖のヨシ植栽事業も、宍道湖の本来の自然植生はどういものだったのか、湖底地形や波の営力など、地学の専門家も加えて検討すべきだと思います。
そこに山がないのに、山の木がこの平野にはないから山を作るのが自然再生だ主張する人はいないでしょう。でも、少なくとも霞ヶ浦アサザ宍道湖のヨシ植栽事業は、木を見て山を見ず的に、波が大きいのが自然なのに、消波堤を造るという環境改変を行いました。そのお墨付きを与えたのはいずれの場合も、植物生態の専門家でした。

(追伸)
長良川河口堰や諫早干拓で、一度失った自然は完全には元に戻らないこと、だからこそ構造変化を伴う公共事業では必ず総合的なアセスメントを行うことが必要なのだと、我々は学んだはずです。しかし霞ヶ浦宍道湖の事業では、環境を守ることを重視すると期待されていた生態学者の方が、アセスメントを勧めることはありませんでした。むしろ「順応的管理」を持ち出して、アセスメントをおこなわせなかった例もあります。
生態学関係者には、こういった現状について検討いただければと思います。