オーストラリアの高校に留学していた娘が帰国しました。ついてけない速度で英語でしゃべられたらど〜しようと思っていましたが、私が高校で留学したときと違って、出国時とほとんど変わりない感じで日本語を話していて、違和感を感じました。
その日は家事の合間にヨーロッパの学会での招待講演のパワポを作っていたのですが、「この表現、英語らしい?」と娘に聞いたところ、単語がほとんど分からないらしく、キョトンとしています。
1年くらいではちょっと難しい単語は無理かもと思っていたのですが、夜になって洋画を英語の副音声で聞いていたのはよいとしても、日本語の字幕がないと意味が分からないとのこと。私は9ヶ月くらいでアメリカのどのテレビ番組も大体分かるようになっていたのに(ただしジョークは一部分からず)、この違いは何なんだ?
聞けば、ゴールドコーストは日本人が多く、友達も日本人が数人いて日本語で話していたらしいです。またメールで日本の友達と日本語でコミュニケーションしていたようで、1年間の間に日本語を話したのはボストン美術館での日本美術担当職員との会話、日本人滞在者のパーティ、おおみそかに家族にかけた国際電話と3回しかなかった私と比べて、日本語曝露度がはるかに高かったようです。
便利になった反面、逃げ道が多くなっていたようです。。。