沈水植物によって透明な湖沼

写真は西シベリアのベロエ湖です。一面、沈水植物におおわれ、水は透明です。浅くても風で底泥が巻き上がることはありません。
この湖沼には魚影はありません。透明ということは植物プランクトンが少ないことを示しますから、それを食べる動物プランクトンも少なく、なので魚もほとんどいないのです。オーストラリアの国立公園にあるマイオールコもベロエ湖のように沈水植物におおわれていて、魚はいませんでした。鳥も魚食性のは皆無、ブラックスワンがやたらいました。

そして底泥がまいあがらないということは、有機物に富んだ細かい粒子もそのまま堆積しつづけ、酸素が供給されることがないことを意味します。なので沈水植物をはぐと、硫化物臭プンプンのヘドロが現れます。淡水魚をスポーツフィッシングの対象にはしても、漁業として依存していない欧米の方々なら、透明でヘドロがしずしずと積もる沈水植物におおわれた透明な湖沼は理想なのかもしれません。しかし私たち日本人にとって、平野部の湖沼は「水清ければ魚住まず」と言い伝えてきたように、濁っているからこそ豊かだったのではないでしょうか。

洪水が起こりにくくなったこと、除草剤を大量に使う農業から多少削減するようになったこと、昆虫という水圏でも重要な役割を果たす動物群を狙い撃ちする農薬が大量使用されるようになったこと、水温上昇で成層しやすくなったりラン藻に有利になりそうなことなど、日本の湖沼はこれまでに経験したことがない大きな変化に直面しています。合理的な思考によって、真に有効な対策を立てる必要があります。その中心になるのは現場を見ている地元の方々であって、書物や論文を現実に優先させる研究者や、専門知識や現場の情報もない中央省庁の担当者であってはならないと思われます。