新型コロナウイルス肺炎に見る日本

これについて私が最初にツイートしたのは1月16日、「人から人に感染するのか、早く解明してほしい。」でした。翌17日には、「春節で中国人観光客が大勢来るけど、大丈夫?」との懸念を書きました。この頃の中国では既に、発症していない人から感染することは分かっていたと思われます。さらには、日本では少なくとも1月28日に、「1月14日時点で、日本人バス運転手が、発症していない中国人観光客から感染した。」と報道されました。
この状況から少なくとも1月28日時点で、日本の各地に発症していない感染者がいるだろうと、合理的に考えれば予測できたはずです。であれば、湖北省出身者との接触の有無に関わらず、強い倦怠と発熱といった症状のある人には新型肺炎を疑って、検査できる体制を早急に整えるか、医療機関にその懸念があるとして対応するよう通達を出すこともできたと思います。実際、テレビでも一部の専門家が、「水際にこだわる段階ではない。」と言ってました。一昨日、昨日の患者の発生状況からは、シロウトの私が1月28日の時点で懸念した通りになってしまったように思います。
一般に霞ヶ関の官僚は、3~5年で異動します。今回対応に当たっている方々も、感染症対策に長く関わっていたとは思われません。厚生省の研究所には、ずっと研究を続けてきた研究者はいます。しかし同じ省庁の研究所の専門家(その省庁の原発関係の委員でもあった)による、福島原発は津波で危ないとの指摘は無視されたまま、3.11が起きました。霞ヶ関には研究者の合理的指摘よりも、他の何かが優先する力学があるようです。
合理的な思考が無視されて大惨事に至るパターンは、太平洋戦争と同じに見えます。いざとなれば神風が吹くという科学的根拠は全くないのに、政官一丸となってキャンペーンが張られ、国民もやすやすと信じていました。当時の日本人が民主主義も科学も知らなかったわけではありません。太平洋戦争前までの日本の科学技術が欧米より遙かに劣っていたということもなく、大正デモクラシーという時代もありました。
日本語が論理的ではないから日本人は感情的だという根拠が「?」な説が、私が小中学生の頃に流れていましたが、新型コロナウイルス対策の報道を聞くにつけ、これが日本という国の本質だろうと思うこの頃です。

(追伸)

日本でのある程度の蔓延は食い止められないと考える方が合理的だと思うので(悪い方に考えるのがリスク対策としてはベター)、花粉も飛び始めていることだし、ジョギング以外はマスクと眼鏡と手袋を必ずつけようと思います。ジョギングは極力人が少ないところ(つくばは田舎なので、田んぼのあぜ道とか、いくらでも選択肢あり)、不要不急以外はラッシュアワーの公共交通は避ける。外出から帰ったときだけでなく、調理前、食事前、洗顔前には必ず手を洗う。年度末はいろいろ忙しいですが、1日7時間以上は必ず寝る、などを徹底しようと思います。

つくば限定情報ですが、マスクはダイソー以外の100円ショップにも在庫はありました。ドラッグストアには消毒スプレーが並んでいましたが、原料は次亜塩素酸だったので、在庫が無ければキッチンハイターを薄めて使えば大丈夫です(個人的には手洗いで十分だと思いますが)。手洗い用の液体洗剤も、ドラッグストアでは空の列がありましたが、100円ショップには在庫ありました。