歴史

中学生であわや回天に乗っていたかもしれない父親が、あと1ヶ月程度かもしれないと入院先から言われました。

農家の出でしたが古文・漢文にたけていて、古事記を暗唱するよう、幼稚園児の頃から指導されました。何が食べられる植物かは熟知していて、「真澄、これは食べられる○○、これは食べられない○○」と散歩しながら教えてもらってました。

小学校に入ったら父から、「出家とその弟子」か「デミアン(ヘルマン・ヘッセ著)」を読むよう勧められ、後者を選んだことから、後にドイツ語文化圏に興味を持ちました。

蛍石とかチャートとか、父が務める化学系会社に行って、原石を見るのが好きでした。ついでに会社の一画にある卓球場で遊びました。運動音痴の私が中学の部活で卓球部に入ったのは、間違いなく父の先導です。

大学生になって、九州に向かう父と中国地方に向かう私とで、途中まで新幹線で移動したときのこと。「ここはあと100年、何も生えないと言われたけど、生えてる。」と言われました。父は原爆当時軍隊にいたので、いろいろ思うところがあったのでしょう。その後、中国地方から三重県の実家まで、ほとんど歩いて戻ったそうです。

教科書に書かれている歴史は、その時の為政者の都合で改竄されていることを、自身の体験から教えてくれる父でした。

1930年11月5日生まれ、帝国海軍最年少の軍人の父を、当時の海軍はとても大切にしてくれたそうです。最年少な上に小柄な父に合う軍服がなくて、上司はいろいろ苦労していたと話していました。たとえば、まともに着れる軍服が無かった、とか。

そして父に、なぜ海軍に行ったの?と聞いたら、「長髪OK、かっこよかったから」とのことでした。

私が海が好きなのも、父の影響かもしれません。女性が母親より父親の影響が大きいのは、稀なのかもしれませんが。。。