食べられる食べられないは生きる基本

家事の「ながら見」でTBSワールド極限ミステリー「アマゾンのジャングル墜落から40日!子ども4人“奇跡の生還”」を見ました。

何度も「13歳の長女が先住民の知恵を母親から教わっていた」とナレーションされ、たとえば鋏を使って大きな葉を切り、それを髪ゴムで束ねてスコールを避ける簡易テントを造ったなどと紹介されていました。「一昔前の先住民は、鋏も髪ゴムも使っていなかったのでは?」と思いました。
極めつけは「長女は先住民である母親から、ジャングルにあるどれが食べられる物か教わっていた。」です。つい50年前の日本人の多くが、どの雑草・野草が食べられるかは常識だったハズです。三重県多度町出身の父は、里山や道ばた・田畑の植物の名前を、学名ではないですが、ほぼ全部知っていました。その名前を歩きながら私に教えてくれたのですが、「これは○○、食べられる(食べられない)。」と、必ず「食べられるか食べられないか」情報がついてきました。
「みんなの牛乳」の小寺とき様は無農薬農業の重要な創始者だと私は思っていますが、彼女も田畑の雑草はむやみには抜きませんでした。「作物は一斉に枯れるかもしれないから。」と、アカザやスベリヒユは特に大切に残していました。
目にしている植物が食べられるか食べられないかは、人類史上ごく最近まで必須知識だったでしょう。そんな知識を「先住民だから」との枕詞を何度も流す番組が平然と流れていて、日本人の大多数は、「最近100年の知識の後追いでは対処できない」これからを生き残れないかもしれないと、改めて思いました。