アサザ大魔神

先日、大学近くのヒシが覆った池で鯉が斃死していたと、学生さんから情報が入りました。前日の雨で水路に土砂が流入していたので、逃げ場を失ったコイがヒシに覆われた池に逃げ込んでしまい、浮葉植物に覆われた水中は酸欠しやすいので、それで死んだのかもしれないとのことでした。
当研究室では手賀沼でハスに覆われた水域とそうでない水域を比較する研究をしていますが、ハスに覆われた方が魚の種類・量ともに有意に少ないです。
不思議なことに、霞ヶ浦アサザが植栽されたところは、水面を浮葉植物のアサザが覆っているのに「魚が戻った」などと報告されています。アサザは魔術を使う植物なのでしょうか?浮葉植物に一面に覆われた湖底は酸欠が生じ、硫化水素も発生し、ほとんどの魚にとっては死の世界のはずなのです。
私がしばしば批判している「アサザプロジェクト」の最大の弊害は、なぜアサザを植栽することが「霞ヶ浦の再生」になるのか、科学的な根拠が皆無のまま、社会運動として喧伝されているところにあります。「アサザの分布域が増えたこと(植栽するのだから当たり前ですが)」以外に、湖沼環境によい影響があったとの学術論文は、CiNiiで検索する限り1本だにありません。
子供達は科学的に考える機会を与えられないまま、アサザなどを植えることが霞ヶ浦の再生につながると洗脳されています。
この運動によって市民運動は、環境をどうするのか合理的に考え行動する志をそがれ、プロパガンダに乗る方向に流れるようになります。そして、かつては大企業や国に科学的根拠なく荷担する学者を「御用学者」と呼んでいたと思うのですが、市民運動に迎合する結果を安直に提案する「市民運動迎合型御用学者」が増えているように思います。
アサザ霞ヶ浦の沿岸域一面に咲くべき植物なのですか?いったいいつの時代にそのような光景があったのですか?その根拠は?アサザを植えて、環境はどうよくなったのですか?「アサザが増えることが環境がよくなること」ではトートロジーです。
かつて水質浄化を目的にホテイアオイが植えられたことがありました。あれも浮葉植物です。その功罪については、CiNiiで引くと様々に報告されています。なのにアサザについてはゼロ。
同じ浮葉植物の植栽事業なのに、なぜアサザについては環境に与える影響に関する学術研究がないのか。それはアサザの植栽が今や、本当に環境をよくするためのものではなく、「アサザ教」とも呼ぶべき宗教活動になっているからです。アサザが水環境をよくするという科学論文が1本もないだけでなく、アサザを植えると水質がどう変わるかさえ調べられていないのは、この宗教に触れてはガリレオの二の舞になるから(だってこの宗教を支持しているのは、某学会元学会長だし。。)みたいな諦観が、科学者の間に広まっているからかもしれません。
そういえばアサザプロジェクトの代表が、こんなタイトルの本を出していました。全く意味深です。
「魔法じゃないよ、アサザだよ」